パレスチナ情報センター

パペから学ぶ歴史認識と多文化共生

早尾貴紀

『市民の意見 No.102』(2007年6月1日 掲載)

  1. イラン・パペ氏のこと
  2. イスラエルのエスノクラシー体制
  3. 一つの土地での二民族共存
  4. パレスチナ難民の帰還権
  5. パレスチナとの和解なしには長期的な未来像は描けない
  6. パペ氏から日本に住む私たちが学ぶべきこと

1 イラン・パペ氏のこと

この3月にイスラエルからイラン・パペ(Ilan Pappe)というユダヤ人の歴史学者を東京に招いて、講演会をもつ機会がありました。直接的に彼を招聘したのは、東京大学「共生のための国際哲学交流センター」というところであり、また大学内だけでなく、「ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉」という市民グループとも共催で一般向けの講演も行いました。
 主催者の意図としても、〈多〉民族による、あるいは〈他〉民族との「共生」や「対話」がテーマとなるところですが、パペ氏の講演の主題は彼の最新著作である『パレスチナにおけるエスニック・クレンジング(民族浄化)』をベースにしたものでした。これは、イスラエルというユダヤ人国家が1948年に建国されるに際して、先住パレスチナ人に対する凄まじい虐殺と追放が行なわれたという歴史の検証から入る話で、共生や対話どころではない厳しい現実との対峙をパペ氏は訴えていました。
 パペ氏の研究の専門は、48年のイスラエル建国をめぐる国際政治史、およびパレスチナ社会の破壊に関する実証史研究です。イスラエルの国家的「正史」は、「世界に離散するユダヤ人が荒野のパレスチナに結集し、自らの手で土地を耕しゼロから国家をつくった」というものであり、建国にまつわる暴力性は完全に隠蔽されています。しかし実際には、500にも達する数のパレスチナ人の村が48年前後に破壊され、100万人ものパレスチナ人が虐殺・追放されたとも言われます。つまり、イスラエル国家はパレスチナの村々の廃墟の上に建てられたというわけです。この相対立する歴史観は、イスラエルにおける「歴史修正主義論争」として知られ、1990年代に活発化しました。パペ氏はこの論争のなかで、もっとも厳しくイスラエルの正史を批判した歴史家であると同時に、イスラエル国家をユダヤ人だけの独占物にしようというシオニズムを断固として批判する「反シオニスト」の論客でもあります。ユダヤ人のパペ氏は、このために「裏切り者/非国民」というレッテルを貼られ、イスラエル国内では窮屈な思いをさせられていますが、しかしアラビア語にも堪能な彼は、それゆえに他の群を抜いた歴史検証の厳密さからイスラエルの正史批判を行なっており、その研究能力・言語能力によって多くのパレスチナ人の友人を得ています。

2 イスラエルのエスノクラシー体制

 歴史の検証とは、たんに客観的事実の確定にとどまらず、現在の問題に関わってくることは言うまでもありません。「すべての歴史は現代史である」という偉大な歴史哲学者(ベネデット・クローチェ)の名言もあります。イスラエル/パレスチナにおける歴史研究は、「ユダヤ人だけの純粋な国家を創る」というシオニズム運動が、正史で語られるような美しい開拓民の物語に回収されるものなのか、あるいは必然的に先住民への弾圧なしには成り立ちえない、本質的に人種差別的で暴力的なものなのか、という鮮明な対立をなします。正史の立場では、イスラエルは世界中から迫害を受けていたユダヤ人を受け入れ続けている最も人道主義の進んでいる国家ですが、建国時における起源の暴力を直視するパペ氏の立場では、シオニズムはいつの時代であれ容認し難い人種差別であり、「エスニック・クレンジング」は現在も続いているということになります。
 政治学の分野には「エスノクラシー」という言葉があります。「デモクラシー」の語源が「デモス(民衆)」の「クラトス(権力)」というギリシャ語にあるのですが、これにひっかけて造られた言葉で、「特定のエスニック集団による支配」を意味します。つまり、全住民の平等な政治参加という真の意味での民主主義ではなく、一部の民族集団が特権的に支配する政治体制がエスノクラシーだということになります。イスラエル国家の全人口は700万人、うち2割の140万人がイスラエルに国籍をもつパレスチナ人ですが、彼らはシオニストからすれば「本来的にはいてほしくない、出ていってほしい人」であり、実際にも明文化されたさまざまな権利の制限と、明文化されていない社会的差別を受けています。すなわち、イスラエル国家においては、パレスチナ人市民は「正規の構成員」とは認められていないのであり、その意味でイスラエルは(中東で唯一の民主国家だという自意識に反して)民主国家ではなくエスノクラシー国家だということになります。
 イスラエル/パレスチナの歴史と現在をめぐる闘争は、メディアの報じるように「ユダヤ対アラブ」というところにあるのではなく、エスノクラシーのままでいくのか、デモクラシーを目指すのかというところにあると言うべきです。

3 一つの土地での二民族共存

 イスラエル/パレスチナにおけるデモクラシー(民主主義)とは何を意味するのでしょうか。これは具体的には、パペ氏の信念とする「バイナショナリズム」、つまり二民族共存国家ということになると思います。第一に、いまのイスラエル国家を、ユダヤ人国家とするさまざまな法規定(ユダヤ人のみの帰還法など)を廃止し、イスラエル国籍のパレスチナ人に対しても完全な権利の平等を実現すること。そして第二に占領地の問題と、第三に難民の帰還権の問題があります。
分断されたパレスチナの地図 イスラエルはなおも東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区とガザ回廊とを軍事占領下に置き、イスラエルへの完全併合もしなければ分離独立も認めないという、中途半端な植民地支配を続けています。東エルサレムは旧市街とその周辺の聖地があるため、土地のみの併合は宣言していますが、そこのパレスチナ人住民には国籍を与えず、無権利状態に晒しています。またガザ地区からは二年前に「基地と入植地の撤退」を宣言しましたが、包囲攻撃を続けており「巨大な監獄」と化しただけでした。そしてユダヤ人入植地を絶え間なく増やし続けている西岸地区内部では、主要入植地と農地・水源地帯をイスラエル側に取り込むための「隔離壁」をイスラエルが縦横無尽に走らせています、それは、西岸各地の交通の要衝に設置された軍事検問所とともに、西岸を事実上何ブロックにも細分化し人びとを狭い空間に封じ込め、通勤・通学・通院といった日常活動さえも制限し、文字どおりのアパルトヘイト体制となっているのです。
 イスラエルのエスノクラシー体制は、パレスチナの土地と人を、イスラエル国内、東エルサレム、西岸、ガザというように分断し、西岸地区をもバラバラに解体しているのです。パレスチナ人は政治経済的一体性を失っているだけでなく、民族アイデンティティさえも失われようとしています。他方では、多くのユダヤ人が定住をしてしまっているという現実があり、シオニズム運動以前に遡ってユダヤ人移民を排除することは不可能です。そうした状況でパレスチナ人の「民族自決」を取り戻そうとすれば、理念的にはバイナショナリズムすなわち一つの土地での二民族共存しかない、とパペ氏は言うのです。

4 パレスチナ難民の帰還権

 そして、イスラエル建国時に難民として離散せざるをえなかった人びととその子孫たちの「帰還権」の問題があります。現イスラエル領となった地域からは、100万人にも達するパレスチナ人たちが追放されましたが、その多くが西岸地区やガザ地区だけでなく、隣国ヨルダン、レバノン、シリアなどに避難し、さらにそこから欧米や湾岸地域に移住した人も少なくありません。国連がこうした難民の「帰還権」を明確に認めているにもかかわらず、イスラエルは、先述のように、建国時の暴力の存在そのものを否定していますので、難民の帰還権も否定しています。他方でイスラエルは、世界中のユダヤ人がユダヤ人であるという理由だけでイスラエルに「帰還」する権利を「帰還法」によって認めているのです。そのユダヤ人が出自的にはイスラエルとは何の関係もないとしても、ユダヤ人には帰還権があるのです。
 その意図するところは明白です。イスラエルは、タテマエとしては起源の暴力そのものを否認しますので、パレスチナ難民の存在そのものを認めませんが、現実政治のレベルでは難民の帰還権が否定される根拠は、大勢のパレスチナ人難民がイスラエル領に帰還をすればイスラエル国家のユダヤ性が揺らいでしまう、ということです。イスラエルはユダヤ人だけの国家でなければならないという信念がシオニズムです。そしてそれを現実のものとするために、パレスチナ難民の帰還権の否定と、ユダヤ人の帰還法が、表裏一体のものとしてあるのです。すなわち、1948年のエスニック・クレンジングは、まさに文字どおりにいま現在も継続中である、というのがパペ氏の主張のポイントになります。
 したがって、パレスチナ難民の帰還権の承認と、ユダヤ人の帰還法の廃止。この二点が、エスニック・クレンジングを止めるための前提になります。こうした主張は、しかしマジョリティのイスラエルのユダヤ人からは即座に反発を受けます。「500万人にも増えたパレスチナ難民の子孫まで帰還を認めたら、イスラエルはもはやユダヤ人国家ではありえず、国家は破滅し、われわれは追い出されるだろう」と。しかしこれは問題点のすり替えであり、難民の帰還権を否定するための議論です。そうではなく、パペ氏が言いたいことはこういうことです。実際に500万人が帰還をするとか、それを受け入れろということではなく、過去に不当な暴力を行なったということをまず認めること、そして帰還の権利があると認めること。それには謝罪と補償が伴います。難民化から半世紀以上が過ぎ、生活基盤の問題から必ずしも全員が実際に帰還を望むわけでもなければ、したくてもできない事情もあります。ただし帰還を実際にする/しないに関わらず、彼らに「権利」があると認めること、現実的に帰還を望みそれが可能である人にはそれを認めること、帰還をしない人にはそれに代わる補償があってしかるべきこと、そうした諸々の条件を整えることが民族和解の前提であるというわけです。
 他方でユダヤ人の帰還法は廃止されなくてはなりません。パレスチナ問題に照らしてというだけでなく、ユダヤ人だからという理由で特権的に移住をする権利を認めるということは、それだけである種のレイシズムです。帰還法やシオニズム思想があるために、政策的に導入された外国人労働者は、もの言わぬ奴隷状態に、つまり無権利状態に置かれています。パレスチナ人にも、そしてそれ以外の海外からの移住者にも、ユダヤ人と同等の市民権を与えることが必要ですが、帰還法はその最大の障壁となっています。

5 パレスチナとの和解なしには長期的な未来像は描けない

 もちろんパペ氏は、こうしたことがすぐさま実現可能だと言っているわけではありません。「10年や20年っていうスパンでは無理だろうね。でも、半世紀先を見据えて発言をしなければ」と語っていました。パペ氏は、何も親パレスチナであるとか、パレスチナの窮状を見かねて善意で動いているのではありません。パペ氏は、イスラエル国民としてユダヤ人として、このままの占領者であり続ければ、イスラエル/パレスチナに住むユダヤ人は、政治的にも倫理的にも崩壊するしかない、という危機感をもっています。シオニズムという思想運動は、それを維持しようとするかぎり、半永久的に差別を受け続ける自国民マイノリティと占領地住民からの反発を、政治的強権や武力で抑え続けなければ、一時も安心することができないという不安神経症状態を引き起こします。また近隣アラブ諸国との関係も、ごく一部の為政者同士の腹黒い妥協的握手を例外として、民衆レベルにおいてはけっして友好的になれるはずがなく、このままでは孤立と敵対視を深めざるをえないことも明白です。
 いずれも、短期的には強大な武力やアメリカの後ろ盾によって乗り切ることができたとしても、長期スパンで考えた場合、武力的優位や同盟関係など絶対的なものではありえません。反発と敵対を生みだし続ける根本原因を取り除かないかぎりは、半永久的な武力の増強と米国依存の深化という、とても魅力的とは思えない破滅的なプロセスに身を投じざるをえないということを意味します。シオニストたちは、パペ氏のような反シオニストに対して、「イスラエルを破壊するのか、この売国奴め!」と罵声を浴びせますが、パレスチナとの真の和解なしには、長期的な未来像など描けないというのが、むしろ現実的な見方だと思います。

6 パペ氏から日本に住む私たちが学ぶべきこと

 もはや説明など不要なくらいに明白かもしれませんが、イスラエルのシオニズムが日本にとっては鏡像を見るかのように同形的です。戦後補償と歴史教育においては、安倍政権下で無惨なまでの後退をしており、戦争が過去のものではなく現在進行形であることを露呈させています。アジアにおける孤立と、突出したアメリカとの軍事同盟は、きわめて深刻です。外国人労働者問題では、1990年の入管法改正によって「日系人」のみを血統主義的に導入しましたが、いまになって自民党の政治家たちは、外国人=犯罪者というレイシズム的偏見から「入管法改正は失敗であった」と発言する始末。他方で、在日朝鮮人を「目の上のたんこぶ」扱いし、その問題の解消のためにはと、かつては「排除」の象徴であった帰化のハードルを大幅に引き下げ、「同化」の手段として用い「朝鮮系日本人」化させようという議論が存在します。こうした、できるだけ「外国人」の存在は減らしたい、いてほしくない、という姿勢が見え見えのなかで、少子化ゆえの労働者不足を「やむなく」海外から補わなければならない現実から、「良い外国人/悪い外国人」などという分類、つまりは差別を自明視する入管政策を私たちはもっていますが、それをもって日本の人道主義と多文化共生を自賛するという恐ろしい勘違いまで存在しています。あからさまなレイシズムをレイシズムであると認識すらできていないのです。
 しかし、ここまで見てきたことから明らかなように、パペ氏にとっての「共生」というのは、こんな生易しいものではありません。〈多〉民族による、あるいは〈他〉民族との「共生」や「対話」は、徹底した過去の克服と和解を抜きにして、一方的に実現できるものではないのです。イスラエルにおいてはシオニズムを残存させたままでの民族共生ということがありえないのと同じように、血統主義や同化主義を残存させたままで日本が真に多文化主義化することはありえず、また歴史教育や戦後補償といった問題への真摯な取り組みなしにはアジア諸国との共存もない、と言うべきでしょう。

【イラン・パペ:プロフィール】

Ilan Pappe

1954年、イスラエル生まれ。ハイファ大学・歴史学教授。第1次中東戦争(1948年)に関する論文で、1984年オックスフォード大学博士号を取得。帰国後、ハイファ大学政治学科講師に就任し、シオニズムを批判する立場からの研究を積み重ねる。その研究に対するイスラエルの学会からの反発と、パレスチナ人学生の論文評価をめぐる学内での対立により、ハイファ大学を「追放」されるが、国際的な非難の声を受けて処分を覆す。反シオニスト左派の「オルタナティヴ情報センター(AIC)」が発行する英語雑誌『News from Within』 にも頻繁に寄稿・発言するなどの活動も精力的に行っている。

近著『The Ethnic Cleansing of Palestine』(Oneworld Publications/2006年)