パレスチナ情報センター

南アフリカの経験から

AIC(オルターナティブ・インフォメイション・センター)が発行する『News From Within』の2005年7・8月号から、「イスラエルに対するボイコットと資本の引き揚げ、そして制裁措置を求めるキャンペーンの成功のために── 南アフリカの経験」という文章を紹介します。


【序文】

最近パレスチナ人たちの市民社会が団結して、イスラエルに対するボイコットと資本の引き揚げ、そして制裁措置を行うようにと求めるキャンペーンを開始した。こうした呼びかけというのは理にかなったものだろうか?南アフリカの人々の経験は何か役に立ち得るだろうか?

以下の文章で筆者は、南アフリカの反アパルトヘイト運動での彼自身の経験をもとに、このようなキャンペーンにおける地元レベルでの動員の重要性についての視点を提供している。さらにバンガニは、離散の地に生きるパレスチナ人たちが行い得る貢献についても検討している。彼は、アフリカ民族会議(ANC)に積極的に関わった家族の一員だ。バンガニの父はロベン島【訳注】に10年間囚われていたし、彼の兄弟はANCの軍事部門に所属していた。また彼の母も、ANC 女性連盟での活動ゆえに繰り返し投獄された経験をもつ。バンガニ自身は、ANCに関連する学生運動、および教師たちの運動に参加していた。こうしたキャンペーンの成功のためには、現在進行中かつ持続的な地元と海外での取り組みが必要だというのは、重要な教訓である。

(AIC:オルターナティブ・インフォメイション・センター)

*バンガニ・ゲレザ(Bangani Ngeleza)は組織開発の相談役をしており、組織戦略が専門。南アフリカにおける活動家としての経験を共有化するために、イスラエルと被占領パレスチナを何度も訪れている。

【訳注】ロベン島:南アフリカ、ケープタウン沖の島で、政治囚の収容所として使われていた。1999年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

イスラエルに対するボイコットと資本の引き揚げ、そして制裁措置を求めるキャンペーンの成功のために── 南アフリカの経験

バンガニ・ゲレザ Bangani Ngeleza

イスラエルを国際的に孤立させようとする呼びかけは平和への寄与だ

パレスチナ人たちの市民社会が、ボイコットと資本の引き揚げ、そして制裁措置を通じてイスラエルを孤立させようとするキャンペーンを開始した。この呼びかけは、イスラエルによる継続的な国際法違反とパレスチナ人たちの人権に対する侵害に対する、対応としてのものだ。いつか〔和平に向けた〕交渉が実を結ぶであろうという、長年に渡る空しく、しかし忍耐強い期待の後に発せられた呼びかけである。これは、南アフリカが経験してきた状況と異なるものでは、ない。南アフリカにおいても、長年に渡るアパルトヘイト政権との交渉の企てや、機能不全の代表団などといった経験の後に、こうした呼びかけが行われたのだった。アルバート・ルツリ(後のANC議長)は、1959年にイギリスの人々に対して南アフリカへのボイコットを呼びかけた際に、こう述べている。「……非白人の南アフリカ人たちは、彼らに加えられてきた攻撃に対して、代表団を派遣することや、提起された要請書を当局に提出することで対応を続けてきました。……こうした方法では成果が得られなかったので、彼らは消極的な形での抵抗に転換し、その後にボイコットへと向かったのです」【原注】。それゆえに南アフリカ〔での経験〕と同様に、パレスチナ人たちの市民社会からのこうした呼びかけは、正義と平和の実現に向けて歩みを進めてゆこうとする真に平和的な努力なのだ。それは、現在の和平プロセスに対する根底的な拒否を意味するのではなく、むしろ被占領下のパレスチナ人たちが手にし得る平和的手段の一つである。つまり、それによってイスラエルに対して、国際法違反を止めるようにと、そして誠意をもって交渉をするようにと、圧力をかけることなのだ。世界は、この呼びかけを聞き入れなければならない。

【原注】南アフリカに対するボイコットをイギリス人たちに呼びかける、アルバート・ルツリの(G. M. Naicker博士およびPeter Brownとの連名での)声明から。

国際的な孤立化に向けた地元での活動の戦略的な役割

正義と平和の実現に向けた歩みを進めてゆくうえで、キャンペーンの指導者たちは、「人民を代表して」活動するのではなく、「人々と一緒に」活動するのだということを、常に忘れないよう肝に銘じるべきだろう。多くの場合に、ボイコット、そして草の根レベルでの大衆的な抵抗行動は、抑圧された人々が手にし得る唯一の平和的な闘争の手だてなのだ。自分たちの地元での大衆的な抵抗とボイコットは、なおも彼ら自身の闘争が進行中なのだという希望をパレスチナ人たちに与えることになる。それは、抑圧された人々に対して、そこから抜け出すための方策が、何よりもまず自分たちの手の中にあるのだということを具体的に示すことにもなるだろう。その意味では、地元でのボイコット・キャンペーンというものは、力を奪われたままであった人々に(変革のための)力と勇気を取り戻させるための手段でもある。大衆との関係性を築くことで、こうした呼びかけの先頭に立つ人々は、自分たち自身が民衆と近しい立場にあることを具体的に示すことができるだろう。そして、そのことが、「人民を代表して」ではなくて、「人々と一緒に」活動しているのだというメッセージを送ることにもなるのだ。

南アフリカ人たちの経験は、地元での大きな動きが明確に存在すると、世界は一層迅速に反応する傾向があるということを示している。1980年代の南アフリカにおける大衆的な動員を基盤としたキャンペーンと抵抗運動が打ち崩したのは、孤立化を呼びかけるような者たちというのは抑圧された人々の間のラディカルな一部分を代表しているだけだという、しばしば喧伝される神話だった。大衆的な抵抗と地元でのボイコット・キャンペーンは、国際的なメディアの注目の下に南アフリカの問題を強く押し出すことによって、世界が現実を見ずに目をそらしたままでいることを不可能とした。そして世界中の市民社会は、前進しつつある平和的なデモンストレイションを圧殺すべく政権側が暴力的な手段を講じる姿に対しては、嫌悪感を抱いたのだった。このことが、アパルトヘイト政権の国際的な孤立化に向けた動きに推進力を与えたことは疑い得ない。1980年代に私たちが目撃したのは、このような推進力だった。それゆえパレスチナにおけるキャンペーンの指導者たちにとっての戦略的なスタート地点というのは、地元における大衆的な抵抗とボイコットを開始するために草の根の民衆を動員してゆくこと、なのだ。

孤立化の呼びかけを前進させるための、離散の地の人々の戦略的な役割

イスラエルを国際的に孤立させてゆくためのパレスチナ人たちの運動は、てこの原理に戦略的に注目することから、更に力を得るだろう。そうした力の一つとなるのは、すでに相当数のパレスチナ人が離散の地に存在しているという事実だ。こうした人々の中には、オランダやイギリス、アメリカ合州国、その他イスラエルと貿易関係を持っている国々に何年も暮らしている人も居る。そのような人たちは、その地の社会のことを理解しているし、その地の人々の動向を何が左右するかを知っている。国際的な孤立化のための呼びかけというのは政策提言に関連する事柄であり、つまりそれは言い換えると、実効的な情報伝達に関わっている。ならば、その呼びかけの成功は、そうした働きかけを行ってゆく対象となる人々について、どれだけ理解しているかに大きく左右されることになる(つまり、〔そうした対象となる国や人々が〕イスラエル/パレスチナ紛争の何に関心を持っているのか、キャンペーンに対してどのような寄与が可能なのか、そして各国における様々な組織や団体との関係性など)がゆえに、離散の地にあるパレスチナ人たちは一つの戦略的な役割を担うこととなる。この役割は、パレスチナ以外の場所で行われるボイコットと資本の引き揚げ、そして制裁措置を組織し、責任を持つことを必然的に意味する。これらのパレスチナ人たちは、効果的な戦略を押し進めてゆくために、彼らが住んでいる国の社会についての知識を活用するという任務の的とされ、かつ奨励される。そしてこれが、パレスチナの内部から押し進められる様々な努力と連携するのだ。そこから出現し得るのは、パレスチナの地と世界の各所で進められる政策提言戦略の多様性である。これらの戦略を全体として持続することが展望として共有され、かつ課題と目標のまとまりとして共有されなければならない。

闘争の前途

南アフリカの場合、ボイコットと資本の引き揚げ、そして制裁措置による刺し傷の痛みが実感を伴って感じられるようになるまでには数十年が必要だった。キャンペーンは、まず小規模に開始され、長期間に渡って継続され、そして国の内外でこれに関わる全ての人々の参加と献身が試されることとなった。 ANCと南アフリカの人々は、ルツリによるイギリス人たちへの呼びかけがなされて後、アパルトヘイト体制が崩壊を始めるまで30年以上もの間、待たなければならなかった。もちろんそれは、国の内外での積極的かつ根気強いキャンペーンの30年間だった。しかしパレスチナ人たちにとっての希望は、その報われる日まで長く待つ必要はないだろう、という点にある。もちろんここで重要なことは、この闘争に関わるすべての人々が、長く継続し、しかも困難なキャンペーンを進めてゆくために、強い決意をもつことだ。こうしたキャンペーンにおいては、無関心、休息あるいは中断のための余地はあり得ない。解放闘争に簡単な勝利などないというのは周知のことだ。どっしりとした巨石を丘の上から転がり降ろそうとするようなものだといえる。最も困難なのは巨石を転がし始める場面で、しかし、いったん丘を転がり降り始めたならば、巨石自体の運動量から速度が得られるようになるだろう。ボイコットと資本の引き揚げ、そして制裁措置の場合には、その運動の成功の徴が現れるまでには何年も必要だろうけれども、しかし、いったん国際社会が反応を示しはじめ、〔イスラエルの〕孤立化が深まってゆくならば、そのイスラエルが一息つくためには、たとえ不本意にであっても、パレスチナの人々の正当な諸要求に従うことが唯一の策ということになるのだ。

翻訳:岡田剛士

イスラエルに対するボイコットと資本の引き揚げ、そして制裁措置を求めるキャンペーンの成功のために── 南アフリカの経験

原文:
Succeeding in the Campaign for Boycotts, Divestment and Sanctions against Israel - The South African Experience

出典:
News From Within 第21巻第5号/2005年7・8月号
Alternative Information Center 発行
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