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2006.07.13

またもガザで一家虐殺/広場で遊ぶ子どもたちも犠牲に

Posted by:情報センター・スタッフ

 ガザ地区でのイスラエルの軍事作戦がエスカレートの一途をたどっている。
 この間の細かな動きを日本語でフォローするには、 P-navi info の7月分を。
 ここでは、取り急ぎ、昨日12日の、もう何度目になるかわからない、イスラエル軍による「一家皆殺し」事件だ。

 この12日一日だけで、ガザ地区全体で殺害されたパレスチナ人の数は20数人にものぼり、ガザへの大規模な侵攻がなされて以降のこの2週間を合計すると、死者だけで80人を超える。イスラエル政府は「その多くが武装組織のメンバーだ」と曖昧にしか言っていないが、およそ半数が無関係の民間人と見られている。
 とはいえ、こうしてイスラエル軍による虐殺に言及するごとに、具体的な死者たちが数字化されてしまい、かえって人を無感覚に陥らせてしまうという矛盾に苛まれる。したがって、その殺害された一人一人に具体的な顔があり、心痛める家族があるということを、そしてどのような状況で殺されていったのかを、その都度、思い起こしたいと思う。

 とりわけ昨日12日に殺された20数人のうちの9人が、ある夫婦と彼らの7人の子どもたちであったということは、イスラエル軍の侵攻・占領がどういう性質のものであるかを、如実に物語っている。
 イスラエル軍は、この父親がハマスのメンバーであり、彼もミサイル攻撃の「標的」の一人であったとしている。だが、彼が実際にハマスの「メンバー」なのか、メンバーだとしたらそれはどの程度の責任者なのか、そして具体的にイスラエルへの攻撃に参与していたのかどうか、そしてそれが暗殺(超法規的死刑/ちなみにイスラエルに死刑はない)に値するのかどうか。そのすべてが、いつもながら不問にされている。
 さらに、その超法規的暗殺は、必然的に一般市民を巻き込むし、子どもや家族の数が多くその関係も濃密なアラブ・パレスチナの社会では、巻き込まれた人びとが同じ家族・親戚であることがしばしばある。そして、イスラエル軍は、かなりの頻度で引き起こす「一家殺害」まで暗殺作戦のために正当化できることなのかどうかについてもまた、まったく顧みることがないのだ。
(暗殺それ自体の問題点については、スタッフ・ノート 「暗殺作戦の真の意図?」 (早尾貴紀)を参照のこと。)

 この暗殺作戦は、今回殺害された父親とは別のハマスの司令官と、この父親を含むその他の活動家たちを直接的には狙ったものとされているが、結局殺害されたのはこの一家9人であった。ミサイル二発で集合住宅を全壊させ、周囲の建物にも甚大な被害を出した。他におよそ30数人の負傷者を出したが、その多くが子どもであり、またほとんどが武装組織に所属などしていなかったと報じられている。
 これは、国際社会から非難を集中されるべき無差別殺戮ではないのか? だが、日本のメディアなどは、「武装勢力を追いつめるために大規模な軍事作戦が行なわれた」くらいにしか報じない。小さな子どもたちを含む死者たちは、付随的な事故としか認識されないのだ。
 だが、まぎれもなくこれこそが「テロの論理」であるということを思い起こすべきではないか。同時に、パレスチナ側からの「テロ」をも誘発しているということも。つまり、「一人の兵士を救出するため」とか「武装組織の司令官を暗殺するため」という大義が、イスラエル軍のあらゆる手段とそれに付随する結果のすべてを正当化する、というものだ。
 翻ってその論理は、パレスチナ側にも、「占領への抵抗」「無差別殺戮への復讐」という「大義」があるのだから、イスラエル側で「何をしてもいい」と正当化できる感覚をもたらすだろう。イスラエルの一般市民を殺害することが、とてもそのような大義に結びつく行為であるとは思えないし、また人道的にとうてい認めることなどできないのは明らかだ。だが、拉致された兵士の救出にも、武装勢力の鎮圧にも結びつかない大規模な軍事行動によって、イスラエル軍は、市民生活を破壊し、パレスチナの一般市民を無差別に殺害しているのだ。
 もし世界が、「標的を絞った暗殺作戦」と称するイスラエル軍の空爆が、一般住民が多く住む集合住宅に対して行なわれ、数十人の無関係な一般市民の死傷者を出したことに対して、「これこそがテロだ」と非難の声を挙げ、具体的な抗議行動を取ることができずにいるならば、世界は暴力の行使を是認したことになる。そして、折しもイスラエル/パレスチナを訪問している小泉首相は、まさにこうした世界の不公正さと不公正を容認する姿勢とを、身をもって代表することとなったのだ。


 昨日は、これ以外に数え切れないほどの攻撃がガザ全体で行なわれていた。
 そのなかでも特筆すべきは、ガザ地区中部デイル・エル・バラーで、起きた5人の少年らの虐殺事件だ。 IMEMC などのニュースによると、電気が切られている同地区の10代の子どもたちが、夕刻外に出て広場でサッカーをして遊んでいるところにイスラエル軍が空爆。少なくとも5人が殺され、7人が重傷を負っている。

 世界がイスラエルのテロを容認しているなかで、この子どもたち――つまり、いっしょに遊んでいた友人らを目の前で失い、自らも負傷をし、家庭生活をも破壊されている――が、近い将来において「テロリスト」になったとしても、なんら不思議ではない。そのときメディアは、相変わらず無責任にも「イスラム主義のテログループの一員」という表象を続けるだろう。だが彼らを追い込んだのは誰だ?
 このニュースで、映画『アルナの子どもたち』のことがとっさに思い浮かんだ。イスラエルが子どもたちを絶望と暴力へと追いやった。サッカーをしていた子どもたちもまた、もはやスポーツに興じることを奪われ、武器を手にするほうへと走り出すのではないだろうか。そんな想像が頭を離れない。

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