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2008.12.31

(ガザ空爆関連:翻訳)果てしない爆撃の夜

Posted by:情報センター・スタッフ

果てしない爆撃の夜

サファ・ジューデー
エレクトロニック・インティファーダ/Live from Palestine
2008年12月28日

今、ここで何が起こっているか。27日のレポート(「想像を絶する大量の死と破壊」)に続いて、攻撃2日目、28日未明のイスラエル軍のガザに対する空爆と海上攻撃について伝えます。

午前1時半。でも、私には、もう陽が昇っているように思えた。この数時間、ガザ市とガザ地区北部のいたるところで激しい空爆が続き、空は赤々と輝いていた。生まれてこのかた、こんなに長い夜は経験したことがない。私の家のある、ガザ市で最も人口密度の高い地区のひとつ、「アスコーラ」では、攻撃は作業場(通常、個人や家族の住居となっている建物の1階にある)、ガレージ、倉庫から始まった。

1時間ほど前にはイスラミック大学が爆撃を受け、研究棟が破壊された。先のレポートで伝えたように、私の家はイスラミック大学のすぐそばにある。最初の爆弾の炸裂で窓が激しく震え、壁が大きく揺れた時には、本当に心臓が口から跳び出してきそうな気がした。両親と兄弟姉妹、昨日の空爆で家が破壊されてうちに来ていたいとこたちは、少しでも休もうとベッドに入っていたが、全員がこの攻撃でいっせいに、家の中で爆撃から一番遠い場所に逃げた。11歳の妹、ハラは麻痺したように動かなかったので、引きずっていかなければならなかった。その後、4回の爆発が続き、その間、13歳の従妹、アヤは必死で私の肩にしがみついていた。肩にあざができたほどだった。4回の攻撃はいずれもすさまじく、爆弾が炸裂するたびに心臓が止まる思いだった。一段落してから外をうかがってみると、夜の空は煙で青黒い汚い色になっていた。

ほんの少し前、イスラエルの戦艦がガザの唯一の港を攻撃した。15発のミサイルが炸裂し、多くの漁船と港の一部を破壊した。ラジオではまだ第一報しか流れていないので、実際の被害がどれくらいなのかはわからない。でも、これだけははっきりしている。漁業がイスラエルの安全にとって脅威であるはずがない。そして、直接・間接に漁業に頼って暮らしている人は何千人もいるのだ。ラジオのレポーターが爆発の数を数えはじめた。6回以降、数え切れなくなったようだった。たった今も3回の爆発音が聞こえた。私は妹に「ヒュウウウウッシュが一番怖いね」と言った。着弾する前のミサイルの音のことだ。ヒュウウウウッシュの間は、いったいどこに落ちるのかと考えて、いても立ってもいられない気分になる。一連のヒュウウウウッシュと炸裂が一段落したところで、ラジオのレポーターが、魚市場(当然ながら無人だ)が爆破されたと伝えた。

たった今、ガザ地区北部のモスクが爆破され、モスクのすぐ近くのバルーシャ家の4人姉妹が死んだというニュースが流れた。

私には、爆発や煙や救急車のサイレンやヒュウウウウッシュよりももっと嫌なものがある。いっときとしてやむことのないアパッチ・ヘリの、不気味な、気が狂いそうになる音だ。頭上を飛びつづけるアパッチの低いうなりは、夜となく昼となく私の頭の中から消えることがない。聞こえてもいない音が聞こえているような気分になるけれど、でも、その音は間違いなく現実に聞こえているのだ。


サファ・ジューデーは、アメリカのストーニー・ブルック大学で学び、修士論文提出資格を得た。2007年9月にガザに戻り、現在はフリージャーナリストとして活動している。

翻訳:山田和子

原文:"The longest night of my life"
Safa Joudeh writing from the occupied Gaza Strip, Live fromPalestine, 28 December 2008

エレクトロニック・インティファーダ

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