2009.01.16
週刊金曜日(1月16日号)でガザ侵攻関連の記事
Posted by:早尾貴紀
急遽、今日1月16日発売の 『週刊金曜日』 (734号)に、ガザ侵攻問題で記事を書きました(タイトルは編集部でつけたものです)。
短いものですが、イスラエルが一貫した占領値政策をもっており、そのなかで今回のガザ攻撃が計画された、という点を強調したつもりです。同時に、ハマス政権の「意味」についても触れました。
問題を掘り下げれば、シオニズムの歴史全体、48年のイスラエル建国による難民の発生、67年の全面占領から描くことも必要なことですが、限られた紙幅のなかで、87年第一次インティファーダから93年オスロ合意の前後に焦点を絞りました。
オスロ合意は第一次インティファーダの一つの決着でもありました。
インティファーダ以前は境界線などないかのごとくに、西岸地区とガザ地区からイスラエルへの往来は自由で、イスラエルにとっての低賃金労働者の供給源であり商品市場でした(従属的関係なのであって、それがよかったということではありませんが)。
その後、インティファーダによって激しい抵抗運動があり、イスラエルは占領地に対し「切り離し/囲い込み」の二重の戦略をとるようになります。これを決定づけたのはオスロ合意です。
「切り離し」というのは、占領地からはもうパレスチナ人労働者を入れないということです。「囲い込み」というのは、しかしたんに切り捨てて近隣のアラブ諸国に任せるのではなく、エジプトとガザ地区の国境およびヨルダンと西岸地区の国境はイスラエルが管理し、封鎖するということです。
隔離壁は、ガザでは93年から電流フェンスという形で始まっていました。
すなわち、「パレスチナ自治」を名目にイスラエルは責任をたんに放棄する、ということでもあります。事実上「国内」扱いをするでもなく、完全に「独立」を認めるでもない。オスロ合意の内実はそういうものでした。
ファタハ中心のPLOは、「自治政府」の名前で代表性を承認してもらえるというところで手を打ち、責任を放棄したイスラエルの代わりとなる国際社会からの援助金を受け取る窓口になりました。これが利権となり腐敗を生む一方、独立など認める気など毛頭ないイスラエルによって、ファタハ・PLOは徹底的に縛られ弱体化させられてきました。
そこにハマスが台頭する余地ができました。このような状態でハマスが選挙に打って出たわけですから、06年の勝利は必然的でした。
イスラエルのガザ攻撃はそれ以来3年間継続してきたものです。多少の緩急はあったとしても、イスラエルが攻撃をやめたことなどありません。( こちらをご参照ください。 )
イスラエルはどうしてもハマス政権を認めることができませんでした。その理由は、ハマスがオスロ合意の破棄と占領の完全な終結を求めているからです。すなわちイスラエルが、占領地からユダヤ人入植地を一つ残らず撤去し、国境管理権を引き渡し、制空権や制海権も引き渡し、完全な独立国家を認めることを、ハマスは選挙勝利直後から要求しつづけているからです。
ハマスの綱領から「イスラエル殲滅」という文言が抜けていないという指摘はあるでしょう。しかしハマスとしては、「占領の完全な終結という条件でイスラエル国家を承認する」としているだけのことで、手続き上だけの問題です。「承認の用意」については3年前から繰り返されています。
争点はここにしかありません。
ハマス指導部が宗教原理主義的であるかどうかとか、あるいは逆に、潔癖で高学歴の知識人エリート集団であるとか、そういうことは非難としてであれ擁護としてであれ、核心ではありません(悪意のレッテルに対するカウンター・イメージということはありうるとは思いますが)。
記事のポイントとしては、およそこのようなところとなります。
【付記】
なお、同誌同号で、ジャーナリストの小田切拓氏が、「シオニストがエルサレムから逃げていく――多極化への困惑」という興味深い記事を書いています。合わせてお読みください。