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2009.01.26

「停戦」、あるいは「一方的」という言葉は何を指すのか

Posted by:情報センター・スタッフ

ISM(国際連帯運動)のメンバーとしてパレスチナに滞在した経験を持ち、ガザを訪れたこともある清末愛砂さんによる文章です。


(2009年1月18日に書いたものに加筆訂正)

「停戦」、あるいは「一方的」という言葉は何を指すのか

清末愛砂

イスラエル「一方的な停戦」が伝えられました。すでに新聞等の報道で知った方も多いと思います。朝、BBCのウェブニュースを読んでいるときに、一番最初に目に入ったもの。それは、ガザ南部のラファの写真でした。破壊されて、廃墟となってしまったラファ。すぐさま、明日の授業で学生たちに見せるために、ダウンロードしました。3週間にわたる激しい空爆や砲撃のなかで、ガザは再び(いや、再び、再び、再び……)「グラウンド・ゼロ」になってしまいました。

ガザ住民を一方的に責め続け、生身の身体をミサイルで粉々にし、生活空間を破壊しつくし、これ以上の血と涙が出ないほど惨い攻撃をしたあとに、イスラエル政府は何一つ譲歩せず、「一方的停戦」を勝手に宣言。その内容とは、イスラエル軍が「停戦」の名のもとで、ガザに地上軍を残るというもの。こんなもの、許されるはずがないがありません。殺人マシーンがそのまま居残るということなど。ガザから「撤退」したとしても、野外監獄を形成しているフェンスのすぐ隣に<いつもの>ように駐留するのだから、状態は変わらないのです。すなわち、以前と同じように封鎖が続くということです。ガザ住民に筆舌に尽くしがたい地獄を経験させたあと(いや、今もしている)もなお、形を変え、パレスチナ人を支配するのです。ガザ住民にとって、そんなものは屈辱以外なにものでもありません。

ハマースは交渉を拒絶しているわけではありません。交渉の条件として、占領の終結を訴えているのです。占領下・支配下にあって、どうして、その支配者と交渉ができるというのでしょうか。

一切の耳を傾けようとしないのが、イスラエルの側なのです。拒否しているのは占領者・支配者であるイスラエルなのです。「一方的撤退」というのはそういう意味です。支配下においている者の声は一切聞かない、という通告です。

三週間におよぶ激しい爆撃の下で、ガザ住民は持てる最後の尊厳をもって、団結し、生きのびようとしてきました。生きのびることが、残された彼・彼女たちの闘いでした。ガザの住民の68%が1948年のイスラエルの建国の過程で、パレスチナの豊かなコミュニティを育んできた故郷を喪失した難民です。それらの人々を含むガザ住民は、一年以上にもわたって封鎖されてきた空間−それはまさしく「野外監獄」です−で、世界の目があるはずのなかで、殺され続け、あるいは残された最後の可能性を探して避難しようとするなか、ミサイルの雨を落とされ続けたのです。そして、残された人々は、これからもイスラエルによって支配され続けるというのです。

自分をのぞいて家族の誰一人も残っていない男性の叫び。子どもたち全員を殺され、半狂乱になっている親たち。同僚たちが殺され、遺体が地面に転がっているなか、生きのびた男性が放心した顔で「神は偉大なり」と言い続けている姿。

これらは、世界が許した戦争犯罪でした。ガザ住民は<私たち>を許してはくれないでしょう。許せるはずがありません。

ガザは、私に「人間であることの恥」を教えてくれた土地でした。2000年に初めてガザを訪問した私は、占領がガザ住民に与え続けているむき出しの暴力を目にしたとき、人間が人間に対して行っているあまりの残酷さに声をうしないそうになりました。砂の一粒一粒にすら、占領の暴力が刻まれている、そう思わせた土地でした。人間は理性など持ち得ていない、と確信させた地でした。それから9年の間、ガザの状況は悪化するばかりでした。2000年がまだましだったと言えるほどに。

マス・メディアの多くは、「一方的停戦」をポジティブに報道しています。なぜ、内実を見ないのでしょうか。なぜ、イスラエルによる国家テロを批判しないのでしょうか。イスラエルのメディア戦略に、わざわざだまされてあげるのでしょうか。三週間、止まることなく進行し続けたエスニック・クレンジングをなぜ批判できないのでしょうか。答えは簡単です。そうしないことを「恥」だと感じないからでしょう。「一方的」という言葉を聞くと、2005年のことを思い出します。イスラエルはポーズとして、「ガザから入植地を撤退」させました。あのときも「一方的撤退」という言葉が使われたでしょう。その後のガザは、徐々に徐々に封鎖され、2006年のパレスチナ評議会の選挙でハマース(イスラーム抵抗運動)が勝利し政権についたあと、欧米諸国(日本も含む)は同政権に制裁を加えました。そして、猫の額ほどしかない小さな小さなガザはイスラエルによって封鎖されたのです。パレスチナ人が民主的な手段を行使したことに対する「罰」として。

自分たちが気に入らない政党が選挙で民主的に選ばれると制裁を加え、その一方で、「中東唯一の民主国家」等といいながら、イスラエルを擁護する。イスラエルは「民主的な国」。そうかもしれない。では、誰にとって「民主的」だというのでしょう。それはイスラエルのユダヤ人に対してのみです。イスラエルの占領下にあるパレスチナ人、あるいは、イスラエル国籍を持つものの二級市民扱いをされているイスラエルのパレスチナ人は、「民主的」であれば、<当然>のごとく与えられているはずの権利を行使することができない状態におかれています。

今回の攻撃で、ガザ住民は何もかも破壊され、命を奪われ、これ以上の地獄はないというほどの醜い状況を一方的に押しつけられた挙げ句、要求は何一つ受け入れられなかったのです。「一方的」という言葉を使うべきところは、ここにあるのではないでしょうか。

清末愛砂(島根大学教員)

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