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2009.02.09

(ガザ侵攻関連:翻訳)新しい中東の産みの苦しみ

Posted by:情報センター・スタッフ

ヨルダンの元国連大使、ハサン・アブー・ニマーが、今回のガザ攻撃が始まった直後に発表した記事です。

イスラエルに対してはもとより、アメリカ、ヨーロッパ諸国、国連、そして、アラブ諸国(自国)のリーダーたちに対しての怒り・糾弾の姿勢には並々ならぬものがありますが、これはまさしくアラブの一般の人々の声にほかなりません。

参考として付した2年前のレバノン侵攻時の記事でも、人々のスタンス・怒りは同じ── アラブの「民衆」が突きつけている NO!の大きさは、これからも常に意識にとどめておく必要があると思います。


新しい中東の産みの苦しみ

ハサン・アブー・ニマー
エレクトロニック・インティファーダ
2008年12月31日

2006年、アメリカ合衆国国務長官コンドリーザ・ライスが公の場で、イスラエルによるレバノン侵攻を「新しい中東の産みの苦しみ」と呼び、露骨な支持表明を行なったことは、よく知られた事実である。現在のガザに対しても、ライスはきっと同じことを言ってはばからないだろう。だが、断言しておく。このガザ攻撃が、ライスの望む中東の誕生に至ることは断じてありえない。

ガザに対する野蛮きわまりないこの攻撃は、何カ月にもわたって脅しを繰り返し、極秘の計画を練り上げた末に実行に移された。アラブ世界の全域を激烈な衝撃波が駆けめぐった。イスラエルのあまりの蛮行に対するショックは言うまでもないが、そこには同時に、アラブ諸国のリーダーたちの沈黙と国際社会の臆病な姿勢が、まさに、彼らがイスラエルの共犯者であることを示しているという事実への激しい怒りがあった。

イスラエルが暴力以外の手段をとったことは過去に一度もない。イスラエルという国ができた時(正確にはそれ以前から)、将来のイスラエル首相たちに率いられたシオニストの一団は、史上初めてこの地域にテロリズムを持ち込んだ。イスラエルとその建国者たちは、中東で史上初めて、国連の使者とパレスチナのリーダーたちに対する政治的暗殺を行ない、ホテルや鉄道の駅、パレスチナ政府の文民部署に対する正真正銘のテロ攻撃を行なった。

イスラエルはこの地域に核兵器をもたらし、次々に新手の「占領のやり口」を考え出していった。入植地を建設し、あらゆる手段を使ってパレスチナ人の土地と権利を奪い取り、最新鋭の兵器で一般人を大量に殺戮し、そうした犯罪を行なうたびごとに、新たな正当化の口実をひねり出していった。イスラエルは60年間にわたって、この地域で、ただひたすら果てしない犯罪行為を積み重ねてきたのだ。

だから、今現在のガザでのイスラエルの虐殺行為は何ら目新しいものではない。たとえ、その厚顔さ、残虐さがかつてない恥ずべき新記録を打ち立てているとしても。アラブ世界の人々ひとりひとりの心に深く、痛みが浸透していっている。アラブの主要都市に住む多くの一般市民が、イスラエルに、事態に無関心な自国政府に、そして、オートマティックに加害者を支持し犠牲者を非難する「国際コミュニティ」の不誠実さに、怒りの声を上げている。

正しく、現在ガザで起こっていることは過去にもあった。2008年の早い時期のガザでの殺戮、1982年、1996年、2006年のレバノンでの殺戮(ほかにもまだいくらでも挙げることができる)。外の世界の反応はいつも同じ。2006年、イスラエル軍がレバノンを攻撃した時も、諸外国とアラブ諸国の権力者たちはゴーサインを送った。あの時(そして今回も)、アメリカとイギリスは停戦を呼びかけることを拒否し、イスラエルに、殺戮の継続と目的の達成に邁進する時間を与えた。だが、こうした多大な政治的・軍事的サポートを得ながら、イスラエルは結局、敗北以外何も達成できずに終わった。

封鎖を介して、また、占領の継続とあらゆる地域でのパレスチナ人の抑圧を介して、イスラエルはガザの軍事攻撃を「予定されているがゆえに実行される行動」とする状況を作り出した。まさにやりたい放題の状況である。何百人ものガザ住民の無差別殺戮(最初の24時間だけで死者300人、負傷者700人)に対し、「国際コミュニティ」は、いつもながらの何の効力もない「憂慮の念」しか表明していない。

国連安保理が出した暴力の停止を求める弱々しい声明も、イスラエルは意に介そうともしない。この安保理声明が、声明を出した当人たちにとっての政治的なアリバイ作りにすぎないこと、この不当きわまりない侵略攻撃の終結に本気で取り組もうとするものではないことを、イスラエルは充分に承知しているからだ。

レバノンの時がそうであったように、イスラエルは実に簡単に戦争を開始する。だが、問題は、どうやって終わらせるかだ。ハマースは、そして、不撓不屈のパレスチナの人々は、「軍隊」ではない。戦場での勝利宣言をもって敗北させられるような、そんな集団ではないのだ。もちろん、イスラエルはガザ全域を破壊しつくし、ガザのパレスチナ人全員を殺すだけの軍事力を持っている。しかし、どれほど残虐行為を重ねようとも、イスラエル軍は結局、勝利のないままに攻撃を終えることになるだろう。イスラエルはガザで再び敗北を喫し、敗北と死の記録簿に新たな1ページを付け加えることになるだろう。

現在進行中の最新の殺戮は、イスラエルがこの地域において永続するノーマルな国家として受け入れられることは金輪際ないということを、このうえなくはっきりと確定させた。イスラエルみずからがそれを確実なものとした。イスラエルを普通の国家として受け入れるかどうかは、この地域の人々、一般の民衆だけが下しうる裁定であり、上に立つ政治家たちの宣言によってなされるものではない。そして、人々は、みずからの意志を表明する機会を与えられるたびに、そうした観点を明確にしてきた。この点に関しては、イスラエルは、いわゆる「友好国」──自国の利益のためとはいえ(むろん、犠牲者たちの利益などいっさい関係ない)、イスラエルの暴走を止めろという呼びかけに一度として耳を傾けることのなかった国々のおかげだと言うこともできるだろう。

イスラエルは、調停と和平のいかなる機会もぶち壊すという形で事態を押し進めてきた。こうしたやり口は、イスラエル自身が真の平和、とりわけパレスチナとの間の和平を達成すべく努力する動因となるかもしれないという期待のもとに和平協定に調印してきたアラブ諸国を困惑させ、侮辱するものだった。イスラエルは、アラブ諸国の側からの和平への働きかけを、そこから先に進んでいくための基盤としてではなく、自分の都合のいいように利用できるアラブ側の「弱さ」を示すものとしかとらえなかった。平和と安全以外何も求めていないと言いながら、イスラエルは常に変わらず、敬意のかけらも見せず、法を遵守せず、偏狭な考えを振りまわし、あからさまな人種差別を行ない、野蛮きわまりない形で人間の命を無視する「ならず者国家」として振る舞いつづけてきた。

このプロセスはいまだ終わりに行き着いていない。イスラエルは、わずかに残されたかぼそい和平への努力の「成果」、和平協定そのものさえ無きものになってしまうところまで事態を進めていくつもりなのだろう。どれほど平和を求めていると声高に叫ぼうと、イスラエルが本当に欲しているのは、それ以外の何ものでもないとしか思えない。

今回のイスラエルの新たな侵略攻撃がいったい何を解き放つことになるのか、誰にも確かなことは言えないが、しかし、いくつかの可能性のありそうな状況を想定することはできる。

今回のガザ攻撃がハマースを壊滅させることはないだろう。ハマースを支持するすべての人間を殺したとしても、この攻撃がレジスタンスを終わらせることはない。逆に、この地域全域でレジスタンスはさらに強まっていく。レジスタンスは時代遅れだとか不可能だとかいった認識、アラブ諸国に残された唯一の「戦略的選択肢」は弱い者の立場からの交渉しかないといった認識は、根底から掘りくずされるだろう。

ガザ攻撃は、いわゆる「穏健派」──いかなる形のレジスタンスをも排除することに血道を上げ、すでに破綻していることが明らかな和平プロセスとそのスポンサー連にべったりとしがみついている輩(やから)──の力をさらに弱め、彼らに対する信頼度をいっそう低下させていくだろう。

同時に、私たちは、アラブの民衆の役割に対する認識の目覚めをまのあたりにすることができるかもしれない。アラブの民衆はこれまで、それぞれの指導者たちによる不毛な交渉やトップ会談に、限界に近い忍耐を強いられてきた。今や民衆の間には、このガザ攻撃にアラブ諸国のリーダーたちが大っぴらに共謀しているという考えが確固たるものとして定着している。これを打ち消すことはもう絶対にできない。12月25日、カイロで、イスラエルの外相がガザを攻撃すると脅しをかけた時、エジプトの外相はひとことの抗議の言を発するでもなく、笑みを浮かべて横に立っていた。あの光景を忘れる者はひとりとしていないだろう。さらに、エジプトがガザとのボーダーのラファ・クロッシングを閉鎖しつづけて封鎖の強化を助けた事実──あの状況でエジプトが果たした役割を正当化することは、もはや容易ではないだろう。

イスラエルが飢餓状態をもたらすほどのガザ封鎖をあれだけ長期にわたって続けられたのは、アラブの共謀なくしては不可能だった。これが真相であり、こうした事実は、アラブの歴史に永久にぬぐいさることのできない恥ずべき汚点を残すことになる。

最終的にはイスラエルも、1982年のレバノン侵攻の時点で学ぶべきだったことを認識するに至るかもしれない。イスラエルの敵はイスラエルと同等の力を持っているわけではなく、イスラエルは誰にとがめられることもなく侵攻と殺戮を行なうことができる。だが、それでイスラエルに安全がもたらされることは決してないということだ。事実、イスラエルがやってきたいっさいが、イスラエルの安全をいっそう低下させ、その犯罪行為に対する憎悪の念を増大させることにしか寄与していない。

イスラエルはみずからを孤立させ、イスラエルが敵と見なす側の支援者をどんどん増やしつづけている。同時に、イスラエルはみずから全力を傾けて、「友人」としてとどまっている者の数を減らしつづけている。

私たちは今、疑いようもなく、17年前のマドリード中東和平会議に始まった時代の終わりに立っている。あの会議で始まった「和平プロセス」──国際法をどこかに追いやり、イスラエルの支配を既成事実化するという欺瞞の上に始まった和平プロセスは完全に崩壊し、二度とよみがえることはないだろう。これに代わるものは、断じて、暴力の継続であってはならない。ほかの道はある。そのひとつは、長く顧みられなかったものの、あくまで力を失っていない道、国際法を遵守し、法律上の義務と責任を果たすという本来の基本に立ち戻ることだ。

そのためには、もうあまりにも長い間、みずからの義務を果たすことを放棄しつづけてきた国際コミュニティが真の勇気を発揮する必要がある。各国政府・国際機関は依然としてその義務を回避しつづけるかもしれない。だが、そんな彼らも、今、ガザから発せられ、世界に広がっている衝撃波から逃れることはできない。これを、世界中の政治指導者たちは明確に認識しなければならない。


[*訳者より]以下の翻訳記事に、2006年当時のライスの発言とレバノン侵攻をめぐる状況が詳しく書かれています。まるで今回のガザ殺戮のことだとしか思えない内容です。併せてお読みいただければと思います。

ヌール・オーデ:「『新しい中東の産みの苦しみ』とコンドリーザ・ライスは言った」

http://www.onweb.to/palestine/siryo/odeh-jul06.html (別のウインドウで開きます)


ハサン・アブー・ニマー:ヨルダンの元国連大使。世界各国の代表や指導者たちの交渉の表裏を知りつくした立場から、イラク戦争をはじめ、中東の様々な情勢に対して、批判・糾弾精神あふれる論評を発表しつづけている。

原文:New birth pangs for the Middle East
Hasan Abu Nimah, The Electronic Intifada, 31 December 2008

初出:ヨルダンタイムズ、2008年12月31日
※翻訳には「著者の許可を得て転載」されたエレクトロニック・インティファーダ版を使っています。

翻訳:山田和子

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