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2010.06.14

パレスチナの皆さんへ、ある南アフリカ人より

Posted by:情報センター・スタッフ

南アフリカのアパルトヘイト政権下を生き、アパルトヘイトおよびそれが意味するすべてのものから自由になるために闘った私たちにとって、パレスチナは多くの点で、未だ終わらぬ私たち自身の闘いなのです。
ファリッド・エサック

サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会の開催を受けて、南アフリカに注目が集まるとともに、これを機にアパルトヘイトに興味を持たれた方も多いかもしれません。

そこで今回は、南アフリカのアパルトヘイトと同時にイスラエルのアパルトヘイトにも思いをはせるべく、南アフリカで反アパルトヘイト運動を経験したファリッド・エサックさんが、いまなおアパルトヘイト下にあるイスラエル/パレスチナを訪れたときに書いた「パレスチナの皆さんへ、ある南アフリカ人より」という文章を紹介します。


パレスチナの皆さんへ、ある南アフリカ人より

ファリッド・エサック
Farid Esack
2009年4月25日

親愛なるパレスチナの兄弟姉妹の皆さん、あなたの土地を訪れた私は、そこに私自身を見いだしました。私が生まれ育った祖国は、かつて、一部の人間が、他の人々の安全を踏みにじった上に自分たちの安全を打ち立てることができると信じていたのです。彼ら彼女らは、自分たちの肌の色が明るく、ヨーロッパからやってきたのだから、何千年もその土地に暮らしてきた肌の色の暗い人々の持ち物を奪う権利があると主張しました。私が生まれた国で、アフリカーナーと呼ばれる一群の人々(編注:南アフリカ共和国に住む白人の内、主にオランダ系入植者を中心にした人々)は、英国により本当に傷つけられた経験を持っていました。英国はアフリカーナーを軽蔑し、その多くを強制収容所に入れたのです。アフリカーナー人口の6分の1近くが命を落としました。

それからアフリカーナーは「もう二度とごめんだ!」と言いました。彼らはそのとき、自分たちが被害を受けるのは二度とごめんだと考えましたが、自分たち自身が他の人々とどう関係するかについては何も配慮しなかったのです。痛みの中で、彼らは、自分たちは約束の地に住むべく神から選ばれた人々であるとの理解を培ったのです。そこで彼らは土地、他の人々の土地を占領し、黒人の安全を踏みにじり、その上に自分たちの治安を打ち立てました。その後、彼らはかつて敵だった者たちの子孫──今や「イングランド人」と呼ばれていました──と同盟を組みました。単に「白人」と呼ばれたこの新たな同盟は、黒人に対する戦いを開始し、黒人たちは、白人の人種差別主義とアフリカーナーの恐怖心および自分たちが選ばれた人間であるという考えにより、追い立て、搾取、周縁化といった恐ろしい犠牲を無理やりに支払わされたのです。もちろんそれに加えて、単なる貪欲という、古(いにしえ)の犯罪の犠牲ともなりました。

アパルトヘイト政策が布かれた南アフリカ、私はそこから来たのです。

皆さんの暮らす、パレスチナの地に着いたとき、既視感が避けがたく襲って来ました。二つの地が似ていることに強い印象を受けたのです。ある意味で、私たちは皆、歴史の子どもです。それでも、進んで他の人々の物語にうたれることもあります。たぶんその力こそ、道徳と呼ばれるものなのでしょう。目にしたことに対していつも介入できるわけではありませんが、それでも、見て心をうたれる自由を私たちはいつでも持っています。

人々が自由のために、ブルドーザと銃弾、機関銃と催涙ガスに立ち向かう。そんな地から私はやってきました。私たちは、抵抗が流行遅れになったときに抵抗を行いました。私たちが解放を手にした今、誰もが、自分たちはこれまでずっと私たちを支援していたと声高に語ります。この状況は、第二次世界対戦後のヨーロッパに少し似ています。第二次世界対戦中、ナチに抵抗した人はわずかでした。しかし戦争が終わったとき、ナチ支持者はどこにも見つからず、大多数の人々は、ナチに対するレジスタンスをずっと支持していたと主張したのです。

普段ならば「適切なところ」に心がある、普通の礼儀正しい人々が、イスラエル、そしてパレスチナ人の追放と苦しみの話題となると、言葉を濁すことに私は驚いています。今、私は、「礼儀正しさ」とは何か、疑念を抱いています。「客観性」や「中庸」、「双方」の言い分を聞くといったことに限界はないのでしょうか? あからさまな不正に対して「中庸」であることは、本当に美徳なのでしょうか? かつて父親から虐待を受けていた男性が家庭内暴力で女性をひどく殴りつけている状況で、「彼」もまた「犠牲者」だからといって、双方の言い分に「平等に耳を傾ける」べきなのでしょうか?

私たちは、世界に向けて、今すぐパレスチナ人の追放に反対し、行動を起こすよう呼びかけます。検問所で日々行われている侮辱、パレスチナの人々を自らの土地と生計、歴史から隔離するアパルトヘイト・ウォールの屈辱をやめさせ、抵抗した人々に対する拷問や裁判なしの投獄、暗殺に反対して行動を起こさなくてはなりません。人間であるならば、同時代に行われている邪悪を目にしたとき、反対の行動をとらなくてはなりません。たとえそうすることが「セクシーでない」行為だったとしても。邪悪を認めて行動することは、真に私たち自身を高めることにつながります。弾圧や追放、占領に直面したとき私たちは行動します。人類の中で品位を貶められている人々がいるときに沈黙することで、私たち自身の人間性を失ってしまわないように。あなたの人間としての価値を貶めるような事態が起きるなら、それは私の価値も貶めることになります。本当のところ、皆さんを守るために行動することは、現在の誇るべき自分であれ将来攻撃される恐れがある自分であれ、自分「自身」を守ることでもあります。

道徳とは、自分が属するエスニック・グループや宗教コミュニティ、民族を越えた利益にもとづき行動をとる力に関わります。世界観および他人に対する振舞いが、宗教や生存、治安、民族性などどのような名目であれ、完全に自己中心主義によって形成されているならば、その人自身が自ら被害者になってしまうのは時間の問題です。「実生活」だとかリアルポリティークといった考えをそれ自身、価値あるものとして持ち出すとき、人類は、より倫理的な理屈に訴えているとしても、ほとんどの場合、利己主義の振舞いに出てしまいます。ですから、実際には石油とか戦略的優位を追い求めているとき、自分たちは民主主義を広める原則に従っているのだとか、さらには自分が行っている奴隷の搾取について、奴隷制度の犠牲となっている黒人はアフリカに置き去りにされると餓死するからといった気分の安らぐ言い訳で自分の行動を正当化したりするのです。真の人間──立派な人──になることは、まったく違ったことです。狭い利害関係を超越する力、そして人間であることを深化させることが他の人々の安寧と関係していることへの理解に関わります。隔離がドグマやイデオロギーにまでなると、隔離が法と法執行機関により強制されるようになると、それはアパルトヘイトと呼ばれます。一部の人が、単にあるエスニック・グループに生まれたからといって特権を享受し、その特権を使って他の人々の持ち物を奪い差別するとき、それはアパルトヘイトと呼ばれます。そうした態度を生み出すもととなったトラウマがいかに純粋なものであっても、そうした態度の基盤にある排他的な宗教的信念がどれだけ深いものであっても、それはアパルトヘイトと呼ばれるのです。それが、トラウマと、世界の無関心と罪とに対処しているのだとしても、それをもって他の人々にトラウマを与え、他の人々に関心を向けないことは決して正当化されません。そのようなとき、隔離は、ただ単に、同じ空間を共有する他の人々に対する無知の基盤となるばかりではありません。他の人々が被っている苦しみと屈辱を否定する基盤ともなってしまいます。

私たちは、抑圧者たちが個人あるいは集団として経験したトラウマを否定しません。私たちが否定するのは、単に、そうであるから他の人々が犠牲にならなくてはならないという考えなのです。そうした苦しみを、政治的・領土的な意図を持つ膨張主義に悪用することを拒否するのです。帝国主義勢力が、地球のこの地域に信頼できるお仲間を欲しがっているという理由で、人々が追い立てという犠牲を払うことに私たちは憤慨します。

南アフリカ人として、パレスチナの人々の生と死について声を上げることは、他の人々の苦しみに共謀はしない道徳的な社会を実現するという私たち自身の夢を救済することでもあります。もちろん世界には、抑圧や追放、周縁化の事例が他にもあります。それでも、そうした多くの事例の中で、アパルトヘイト体制下で暮らし、それを生き延びて克服した私たちにとって、何よりも目につくのはパレスチナなのです。実際、南アフリカのアパルトヘイト政権下を生き、アパルトヘイトおよびそれが意味するすべてのものから自由になるために闘った私たちにとって、パレスチナは多くの点で、未だ終わらぬ私たち自身の闘いなのです。

ですから、アパルトヘイトと闘った私たちがここパレスチナに来ると、ある意味で、ここが、私たち自身が苦しめられてきた時代を思い起こさせる地であることを見出すのです。デスモンド・ツツ大司教(編注:ネルソン・マンデラらとともに反アパルトヘイト運動を担った著明な南アの平和活動家)が次のように言ったとき、彼はもちろん正しかったのです。彼は、パレスチナ人の置かれた状況を見ると「南アフリカで我々黒人に起きたことの多くを思い起こす。……どうして我々はかくも忘れやすいのだろうか? ユダヤ人の姉妹兄弟は、自分たちが受けた屈辱を忘れてしまったのだろうか?」と言っています。けれども、様々な点で、ここパレスチナの皆さんの地では、私たちがアパルトヘイト政権下で目にしたよりもはるかに残虐で冷酷で非人間的なことがなされているのを目にします。パレスチナの兄弟姉妹の皆さん、私たちは、ある意味で、皆さんが置かれている状況への注目を引くために皆さんが、南アフリカで私たちが置かれていた状況を指すための言葉を使わなくてはならないことに、当惑を感じます。

南アフリカの白人はもちろん黒人を支配しました。けれども、ここパレスチナとは違い、彼らが黒人の存在そのものを否定しようとしたり、完全に追放を望んだりしたことはありません。被占領者に何の権限も与えない軍事占領を経験したこともありません。家屋破壊、自由の戦士らしき人物の親戚が所有する果樹園の破壊、親戚の追放といったかたちで、多くの野蛮な集団的懲罰を受けることは、南アフリカではありませんでした。アパルトヘイト政権時代の南アフリカの裁判所が拷問を合法化したこともありません。南アフリカの白人が、南アフリカの黒人を侮辱する白紙委任状を、ここパレスチナの入植者が持っているように手にしたことはありません。途方もないアパルトヘイトの熱狂的支持者でさえ、ここパレスチナの壁のように恐ろしいものを想像したことはなかったでしょう。アパルトヘイト警察が、子供たちを作戦の盾につかったこともありません。アパルトヘイト軍がほとんど民間人からなる標的に戦艦や爆弾を使ったこともありません。南アフリカの白人は「安定群落」を構成しており、数世紀を経て単に黒人と折り合いをつけなくてはならかっただけです(それが、彼らが経済的に黒人に依存しているという理由のみからであったにせよ)。イスラエルは新旧、改宗者、再改宗者、再生者を問わずすべてのユダヤ人を取り入れる場所だとするシオニストの考えは、非常に大きな問題です。その場合、隣人たちと接触する衝動は起きようもありません。そのため、古くからの隣人たちを民族浄化で取り除き、その間中ずっと新たな隣人を迎え入れることになるようです。

アパルトヘイトに抵抗した私たち南アフリカ人は、何世紀も続いてきた弾圧を終わらせるにあたって国際連帯が果たしたかけがえのない役割を理解しています。今日、私たちには、自由を求めるパレスチナ人の闘いに貢献するほか、選択肢はありません。その際、私たちは、パレスチナ人の皆さんの自由が同時に多くのユダヤ人が完全に人間的になることにも貢献することを十分理解しています。ちょうどアパルトヘイトの終焉が南アフリカの白人も解放したのと同じように。私たち自身の解放運動の最中、私たちは、自由への闘いが同時に白人も解放することをいつも思い起こすようにしてきました。ジェンダーの権利侵害が男性の人間性を減ずるのと同じように、アパルトヘイトは白人の人間性も減じてきたのです。解放により、抑圧者の人間性も回復します。この点ではイスラエルも例外ではありません。南アフリカの解放闘争集会を行うとき、しばしば演説者が「一人を傷つけることは?!」と呼びかけると、人々は「皆を傷つけることだ!」と応えていました。当時、私たちはその言葉をいささか狭い意味で解していました。もしかするといつでも、この言葉を狭い意味で理解するように私たちはできているのかも知れません。今わかっているのは、パレスチナの人々を傷つけることは、皆を傷つけることだということです。他の人々に危害を加えると、必ずそれは、攻撃者に戻ってきます。他人の肌を切り裂きながら、自らの人間性を保とうとすることはできません。このアパルトヘイト・ウォールという奇怪な怪物を前に、私たちは代替案を提案します。パレスチナの人々との連帯。私たちは、隔離を乗り越え、不正を克服し、貪欲と分断、搾取を終わらせる皆さんの闘いをともに歩むことを約束します。

アパルトヘイト下の南アフリカでも今日のイスラエルでも、昨日の被抑圧者が今日の抑圧者になることを目にしてきました。それだからこそ、私たちは、民族性や宗教にかかわらず誰もが平等で自由に暮らせる社会を実現するというビジョンにおいて、皆さんを支援します。

私たちは、我らが祖国の父でありパレスチナの人々にとっても英雄であるネルソン・マンデラの言葉から今も勇気を受け取っています。1964年、彼は反逆罪で有罪を宣告され、死刑を求刑されました。彼は判事たちに顔を向け、次のように言ったのです。「私は白人支配に対して闘って来ました。また、黒人支配に対しても闘ってきた。私は、すべての人がともに仲良く暮らし、平等に機会を持つような、民主的で自由な社会の理想を心に抱いている。その理想は私の生きがいであり、私はそれを達成したい。けれども、必要ならば、その理想はまた、喜んで私の命を捧げるものでもある」。


原文:To Palestinians, From a South African
Farid Esack
Friday, April 24, 2009

翻訳:益岡賢


パレスチナからの反アパルトヘイトへの呼びかけや多くの反対の声を無視して、日本企業として歴史上初めてイスラエルへの出店計画を進めている無印良品に、どうかあなたの声を届けてください。詳しくは、下記のサイトに掲載しています。

Stop無印良品キャンペーン
(2010年12月1日無印良品イスラエル出店計画の中止が発表されました)

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