パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2004.11.27

「小アラファト」バルグーティー氏

Posted by :早尾貴紀

 アラファト「後」のことが話題になっています。ファタハが元首相でもあるアッバス氏を立てるのは当然としても、若手などからは、イスラエルの獄中にいるマルワーン・バルグーティー氏を推す声が強くあります。弱腰と見られがちなアッバス氏に比べて、武装闘争のリーダーとしてイスラエルに逮捕・投獄されているバルグーティー氏のほうが大衆的な人気があります。しかし、それでも、「終身刑5回」という判決を受けた人物が有力候補として語られるということ自体が、不可解なことでもあります。
 バルグーティー氏が逮捕された2002年4月から、「終身刑5回」の判決が出された2004年6月までの2年間は、ちょうど僕がエルサレムに滞在をしていた時期と重なります。そのあいだに見聞きしたメディアでの扱われ方や、人びとの評価なども加えて、少し文脈をフォローしておきたいと思います。

 バルグーティー氏については、そもそもの逮捕・公判のときから、イスラエルがアラファト後の新指導者として立てるつもりだという噂が絶えませんでした。というのも、イスラエル自らが、バルグーティー氏を「抵抗者」として(つまりは裏返しの英雄として)実際以上に誇大に売り出している、としか見えないからです。「超法規的」暗殺を得意とするイスラエルが、逮捕・公判などという法的手続を取っていることだけで十分に怪しい。しかも、穏健派とおぼしきパレスチナ人でさえも自らの政治目的のためには暗殺してきたイスラエルが、武闘派のバルグーティー氏を逮捕ですから、胡散臭いこと限りない。次にはやはり「超法規的」釈放とくるのではないか、という噂につながります。
 しかし、イスラエルが「テロの親玉」として捕えて、「終身刑5回」という審判を下した人間を釈放するとは、常識的に考えれば荒唐無稽な話です。本当ならば「死刑5回」にでもしたい相手ではないのか、というのが心情なはず。ちなみにイスラエルでは、超例外的にだけ、つまり国家存在にとって極めて危険であると判断された場合にだけ、死刑が可能性として保持はされているものの、実際に適用をされたのは、アドルフ・アイヒマンただ一人です(アイヒマン裁判については、モサドがアルゼンチンから超法規的に連行してきたことや、ドイツやポーランド等で行なった戦争犯罪を戦後建国されたイスラエルが裁くことなどについて、法的根拠が極めて危ういという問題があることも附記しておきます)。それ以外には、一度も「法的な」死刑はありません。ということは、「終身刑5回」というのは事実上は死刑に等しいはずです。
 ところで、「法的な」死刑はない、と書きました。パレスチナ人「テロリスト」も、これまで法的に死刑になった人は一人もいないのです。しかし、それは裏返せば、「法に基づかない死刑」、つまり暗殺をやりたい放題に行なっているということでもあるわけです。法的な死刑を事実上は廃止していることと、暗殺作戦が横行していることは、表裏一体と見るべきかもしれません。
 さて、そうだとすると、バルグーティー氏は事実上の死刑なのでしょうか。その代わりの「終身刑5回」なのでしょうか。やはりここでも、死刑にしたければ暗殺をすればよい、というイスラエルの冷徹無比な政策が貫徹しているはずだと見なすべきなのではないかと僕は思います。つまり、イスラエルはバルグーティー氏を政治的に利用価値があるからこそ生かしているし、メディアにもさらしているのだ、と。これまでも政治的な利用価値をアラファト氏に認めていたからこそ、彼を暗殺せずに生かしておきました。さんざんアラファト氏の「顔」を利用して、「唯一パレスチナを代表できる交渉相手だ」とか「テロリストで交渉相手じゃない」とか、都合のいいように使い分けてきました。「代表」と「テロ」の両方のレッテルを使えるアラファトは、イスラエルにとって重宝したことでしょう。だからアラファト氏が亡くなって、表面的にはイスラエルは「悪の元凶が消えてせいせいしている」って言いますが、本音では今後「誰と」交渉をするのか、戸惑っているはずです。おそらく、その唯一の切り札が、「小アラファト」としてのマルワーン・バルグーティー氏なのかもしれない、というのは有力な推論です。実際に、彼を次の駒として使うしかイスラエルには道がないからです。
 ファタハの古株で穏健派のアッバース氏やクレイ氏では民衆の支持が薄く、パレスチナ側の民意をまとめられないという問題があり、また他方で、ハマスなどの対イスラエル強硬派も参加した「総」選挙になれば、実際にハマスが勝つ可能性があり、強硬派・宗教勢力が台頭することになってしまうけれども、イスラエルとしては絶対にそれは認められない。仮にハマスが勝ったとしても、交渉相手にはしたくないので、本音ではハマスには選挙に参加してほしくないと考えているでしょう。そうすると、民衆的支持(対決姿勢を鮮明にしているハマスのシンパからも一定の支持)があり、かつ最大派閥ファタハを基盤としているバルグーティー氏しか、実際にアラファト以降のパレスチナを「代表」できる人物がいない、ということになります。そういう計算が、バルグーティー氏逮捕のときからイスラエルには選択肢の一つとしてあったのだと思います。あくまで「選択肢の一つ」だし、それがイスラエル政府の総意だということではなく、一部の人間の戦略かもしれませんが。それでも、和平プロセスの破綻を示していた第二次インティファーダの後には、すでにポスト・アラファトを考えなければならない段階に来ている、という認識は少なからずのイスラエル側の政治家にはあったはずです。ありていに言えば、「コラボレーター」(「密告者」のような意味ではなく、政治的コラボレーションの担い手)が、和平交渉にはつねに必要とされています。その意味ではアラファト氏は疑いもなく、イスラエル・アメリカ主導のオスロ体制のコラボレーターであったと思います。そしてイスラエルは、次のコラボレーターを必要としています。
 そういう意味で、「終身刑5回」のバルグーティー氏が釈放されるなんてことがあるとすれば、そこにはイスラエルの徹底した政治戦略が組み込まれている、ということに警戒が必要だと思います。

 それにしてもひどい話だと思います。民主主義どころではありません。またしてもイスラエルの用意したメニューの押しつけです。これは、多くのアラブ諸国で繰り返された/繰り返されている問題にも通じます。「欧米が求めた民主的選挙」をすれば、反欧米的なイスラーム勢力が、公正な民主的手続=選挙によって大勝してしまいます。しかしそれは欧米には受け入れ難いから、公正な選挙結果を弾圧して、親欧米的な独裁者を据え付けることになります(しかしそうすると内戦になり、そこから「イスラームは暴力的で非民主的」というレッテルが生まれてしまいます)。イスラエルとアメリカは、徹底してハマスなどの対決路線を唱えるグループを排除するでしょう。最初からイスラエルに受け入れられる幅は決まっていて、その限られた狭い範囲でのみ「選択」が許されますが、それで民主主義って言えるんでしょうか?
 もちろん、こういう大仕掛けの不公正を跳ね返すだけの真の民主主義がパレスチナに育っていないという問題もあります。そして、それを育ててこなかったどころか弾圧していたというのが、パレスチナの未来の可能性をも狭めてしまったアラファトの最大の害悪だったかもしれません。しかし、それにしてもイスラエルの底意地の悪さには、あの国のおどろおどろしいパワーの根源を見る思いがします。