パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2004.09.18

ドルーズの兵役拒否について

Posted by :早尾貴紀

(この文章は、かねこさんからドルーズの兵役拒否について質問をいただいて、それに僕が返信をしたメールをもとに書き直しをしたものです。)

 イスラエル国家には兵役があります。これは、「国民義務」ですから、人口の約2割を占めるアラブ系の人びとにも「例外なく」科されています。しかし、実際の運用においては、「アラブ系」と言っても、一様ではありません。よく知られていることですが、「ドルーズ兵」と呼び習わされているアラブ人兵士がいます。アラブ系でありながら、イスラエル国家に忠実で、占領地の作戦やチェックポイントでの任務において、「勇猛果敢」をもって知られています。実際、占領地のパレスチナ人からは、「最もタチが悪い」とか「裏切り者」と呼ばれ、嫌われています。このドルーズ兵は、イスラエル北部、ガリラヤ地方から来ているのですが、彼らには徴兵が強制されており、兵役拒否に対しては厳重な罰則(1年前後の投獄)があります。
 それに対して、クリスチャンとムスリム(圧倒的少数派のドルーズとベドウィンを除く)に対しては、原則として兵役に就くことがが免除されています。これは、イスラエル国家への帰属意識が弱いこと、それどころか国家に反抗心を持っていることが少なくないことから、兵士には向かないと判断されているためです。彼らに集団で武器を持たせることを、国家が恐れたということになります。これは、ドルーズやベドウィンには兵役が強制されたことと表裏で、ムスリム・コミュニティの分断政策でもあります。
 以上は、基本的な背景として。

 本題ですが、このドルーズの中で、兵役拒否が増えてきているというのです。すでに兵役対象者の30パーセントを超えるドルーズが、兵役に就いていないとされています。これはいったいどのような事態なのでしょうか。国家に忠誠を誓うアラブ系市民の「お手本」たるドルーズが、実は3割以上も兵役を拒否しているとしたら、それが公然化することはイスラエルにとってはゆゆしきことであるはずです。
 このことを考えるときには、いくつかの大事なポイントがあると思います。それを以下、4点に分けて整理したいと思います。

1.政治的にイスラエルのシオニズムに反対をするという意思表示を明確にして兵役拒否をするケースは、あいかわらず少ないままですが、それにともなうさまざまなペナルティを避けるために、他のさまざまな理由を使って、兵役を「忌避」している人が少なくありません。本当は「拒否」をしたいのだけれども、それをしたら数ヶ月は投獄される可能性が高く、またその後もブラックリストに載せられるわけですから、健康上あるいは精神上の理由をつけて、兵役に「不適格である」という烙印をもらうのです。また、それはイスラエル軍にとっても、見た目に「政治的兵役拒否者」が増えることは体面的に好ましいことではありませんので、「潜在的拒否者」の「忌避」を認めることがあるようです。

2.歴史的、社会構造的に見ると、1950〜60年代は、圧倒的にドルーズ社会は貧しく、ユダヤ人と比べてはもちろんのこと、他のアラブ系であるムスリムやクリスチャンと比較しても貧困であり、より強く差別される存在であったということが、そもそもドルーズが徴兵の強制に応じざるをえなかった構造的な要因であると言えます。アラブ社会の中でさえも差別を受けていたため、兵役に就くことで、奨学金や就職や低利融資などの恩恵を受けることができるようになり、具体的な社会進出のチャンスを得ると同時に、イスラエル社会の中での存在を認めてもらおうという思惑があったと言えます。それから半世紀。徐々に、ドルーズの大学進学率も高くなり、経済生活も改善されてきました。それに反比例するように、若い世代の中からは、「必ずしも兵役に就かなくともいい。むしろ一年を棒に振っても、できるだけ早く大学に行ったほうがいい」(つまり、適性検査や投獄で一年は取られるけれども、三年の徴兵に応じるよりは、早く進学・就職ができる)と考える人が少しずつ増えてきています。

3. 2000年に、ヘブロンでの軍事作戦中に、負傷したドルーズ兵が置き去りにされ、死亡するという事件が起きています。このことは、ドルーズ社会に大きな衝撃を与えました。「自分たちは国家に忠誠を誓い、兵役にも応じて身を危険にさらしているにもかかわらず、結局のところ、イスラエル国家はユダヤ人しか国民として認めていないのではないか。」という不信感がドルーズ社会に広まりました。つまり、ユダヤ人兵士であったら絶対に起こりえなかったこうした事件は、ドルーズへの消えることのない差別の表れであると受け止められたのです。ドキュメンタリー映像で見たのですが、この事件についての釈明と謝罪のためにその死亡したドルーズ兵士の村を訪れた軍の将校に対して、同郷のドルーズ兵らが、泣き叫びながら、兵士の身分証を突き返すということをしています。この事件以降、ドルーズの政治的な兵役拒否者が急に増えたと言われます。

 以上のような状況にもかかわらず、「勇猛果敢なドルーズ兵」というステロタイプはいまだに流通しています。パレスチナやアラブ社会に詳しいとされる人のあいだでも、平然と「ドルーズは親イスラエルである」とか「ドルーズ兵は残虐だ」などということを口にする人がいます。
 最後に第4点目として、こうしたステロタイプがいかに間違っているかを示す一例を挙げたいと思います。

4.兵役が免除されているムスリムとクリスチャンについては、「志願」が認められていて、実のところ、兵士の絶対数においてだいぶ以前から一般ムスリム兵の方がドルーズよりも多くなっているのです。かつてのドルーズと同様に、イスラエル社会の中でこれからの自分の社会経済生活を考えたときに、徴兵に就いたほうが得であるという判断が背景にあります。クリスチャン・アラブもすでに相当数が軍隊に行っています。
 ここで単純な仮定の計算をしてみます。ムスリム対ドルーズの人口比を20:1として、男性18歳年齢人口の比率も同じとすると、60%のドルーズが徴兵に応じたとしても、わずか3%のムスリムが志願をしただけで、人数では並ぶことになるわけです。
 ところが、すでに最初の1950〜70年代ぐらいで、「アラブ兵=ドルーズ=勇猛果敢(野蛮)」という図式的理解が定着してしまっており、その後は、実は一般ムスリム兵のほうが多くなっているということを気にする人は、イスラエル側にもパレスチナ側にもいません。ドルーズ兵は、いちばん緊迫しているチェックポイントや、あるいはナブルスやヘブロンといった地域の軍事作戦に送り込まれるから、地元パレスチナ人からは実数以上にその存在が感じられていますし、また、ドルーズ兵ではない場合でさえも、アラビア語を話すアラブっぽい顔の兵士を見ると、もう自動的に「ドルーズ兵だ」という思い込みが働きます。ところが、実際には、クリスチャン兵かもしれないし一般のムスリム兵かもしれないし、あるいはユダヤ人のミズラヒーム兵(アラブブ世界出身のユダヤ人)かもしれないのです。でも、そういう事実とはお構いなしに、「アラブ兵=ドルーズ」という認識になってしまっているという面があります。

 以上については、早尾がエルサレムで二年間いっしょに住んだドルーズの学生によって多くを教えてもらいました。ちなみに彼は、政治的理由を明確にした兵役拒否者でした。
 なお、彼とのこれまでの対話は、他に「パレスチナ・オリーブ」のサイト内に文章をアップしています。ご参照ください。

パレスチナ・オリーブのサイト

ヘブライ大より21:入獄準備(兵役拒否)

ヘブライ大より25:イスラエル・アラブのアイデンティティ