パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2004.04.04

ある「誤報道」をめぐって

Posted by :早尾貴紀

 ある「誤報道」について書きます。  ある日、ネット・ニュースの共同通信の記事を見て驚きました。下に記事の全文を転載しますが、いかにもシオニスト国家イスラエルらしいことだと思い、僕もこの記事をパレスチナ・フォーラムのMLに紹介をしました。共同配信記事なので、全国の各紙に掲載されたそうです。

アラブ系労働者に赤い×印 イスラエルで「人種差別」

【エルサレム9日共同】

イスラエルの警備当局が、国会の建設現場で働くアラブ系イスラエル人のヘルメットに赤字で「×」の印を付け、外国人労働者と区別していたことが分かり、アラブ系議員が「人種差別だ」と猛反発している。イスラエル紙マーリブが9日伝えた。
 リブリン国会議長は報道を受け、警備当局に印を取り除くよう命じた。
 イスラエルの全人口約650万人のうち、パレスチナ人などアラブ系住民は約2割を占める。2000年秋に激化したパレスチナとの衝突で、パレスチナ過激派のテロにアラブ系住民が協力していた例もある。
 建設現場には主にアジア系の外国人労働者が働いており、警備当局は暴動などが起きた場合、治安上の脅威とならないとしている外国人労働者と区別し、狙撃しやすいように印を付けていたという。(共同通信)
[3月9日22時37分更新]

 イスラエル国籍を有していても、とりわけムスリムについては兵役義務から遠ざけ、そのことでもって義務不履行という根拠をつくり、就職差別をするなどをしている国家ですから、まあこれくらいのことはありえなくはないと思いました。その他、土地取得や開発、水の配分などにおいても、アラブ人であるかユダヤ人であるかでもって差別をしているのがイスラエルです。

 ところが、この国会の労働現場に直接関わるアラブ人労働者の組合に話を聞く機会があり、事実関係としては、ある「区別」があったのは確かなのだけれども、こういう単純な話ではなく、これはある意味でとんでもない誤報道であったということがわかりました。
 まず、アラブ系イスラエル人(イスラエル国籍のアラブ・パレスチナ人)が国会などの重要な建設現場で働くには、そもそもハードルがものすごく高くて、何ヶ月も「セキュリティ・チェック」を受けてからでなくては、労働許可がもらえません。その人の経歴、賞罰、家族関係、交友関係、等々。しかし、そんなことを言っていたら、ただでさえアラブ人にとっては職を得て給料をもらう少ないチャンスなのに、それを逃してしまうことになります。アラブ系市民は失業問題が深刻ですから、生活ができるかどうかの死活問題です。
 そこで、アラブ人の労働組合が交渉をして、セキュリティ・チェックがまだ完了をしていないということが見た目で分かる作業着を着ることで、すぐに労働現場に入る許可を出してもらう、という妥協点を見いだした。チェックを完了しているアラブ系の労働者は、他の人と同じ普通の作業制服を着ているのだけれども、それが済むまでは区別された青い作業着を着ることになる(ヘルメットの印というのもその一つだと思われます)。
 もちろん、そもそも市民であるはずのアラブ人に対してだけ特別なセキュリティ・チェックがあること自体が大問題だし、そして別な作業着を着ることを受け入れれば働ける、というのは(食っていかなければならないとはいえ)「悪しき妥協」であると言われれば、その通りですが。

 つまり、そのマアリヴの記事は、事実関係として大間違いだったわけです。しかし、どうしてそんなことが起きたのかと言うと、その記者は労働者の一人に話を聞いたら、その人は「大方こういうことでしょ」という話をした。別に事実関係の細部を知らずに、そういう単純化した話はありうることです。「そうやって差別しているのさ」と。差別がこの社会に蔓延しているのは事実ですから。それでマアリヴの記者も、記事にも「〜と労働者の一人は語った」と書いた。「『これが真実だ』と書いたわけではなく、『〜と語った』と書いたのだから、嘘ではない」、というのがマアリヴの主張です。
 ところが、この記事を受けてアラブ系の議員が騒ぎだし、当局は「じゃあこの際だから、アラブ・パレスチナ人の労働者はぜーんぶ締め出しちまおう」っていうような方向にいきかけてしまいました。建設会社の元請けも、「労働組合の要請を受けてアラブ人を採用をしたんだから、面倒が起きるなら雇わないよ。全部外国人でいいんだから。」という姿勢を見せました。
 慌てて労働組合は、この騒動の収拾を図り、記事がまったくの間違いであることを当局や建設会社に説明をして回り、いちおう雇用の取り消しはしない、ということになった、という顛末です。
 それで記者は、誤りを全面的に認めて、労働組合に謝罪をしたのだけれども、訂正記事が出ることはありませんでした。ですから、もちろん共同通信が訂正記事を出すはずもなく、それが各紙に出ることもなく、記事を読んだイスラエルと日本(とどこかの国でも流れたかも)の読者の100パーセントの人が、真実を知る機会はないというわけです。

 このことで、三つのことを思ったのですが、一つには、「〜と○○氏は言っていた」という情報は、やはり恐ろしいです。特にジャーナリズムの場合、裏を取らないで記事にすることになります。しかも外国での記事については、日本では検証は不可能に近いですから。このことは、とくだん新聞報道だけに限りません。フリーランスのジャーナリストが、現地の人にインタヴューを取ったとしても、地元でも話が錯綜していることや、マイクを向けられれば単純化や誇張をして話をするということはよくあることです。裏を取らずに報道すれば、今回のような事態になることがあります。
 二つ目は、この単純化や誇張です。パレスチナやイスラエルのような場所にいると、過度な単純化が、意図的にであれ無意識にであれ、よくなされます。典型的なものはレイシズムです。「すべてのユダヤ人はアラブ人を一人残さずに殺したがっている」とか、その逆パターンもそうですが、そういう言説はなくはない。さすがにこれはかなり極端な例だし、文字通りに受け取る人は少ないと思います。しかしそれでも、「結局は相互の民族憎悪が問題なんだ」っていう語りをする人は、この発想を根底に共有してしまっています。
 三つ目は外国人の問題です。問題の最前線に行けば、しかも海外であれば、外国人がインタヴューを取るということは、実はひじょうに容易なことです。しばしば日本の報告会や本でも、「地元の人に会ってインタヴューをしてきました」とか、「著名な誰々さんに会ってインタヴューをしました」っていうのがあって、「おお、すげぇ」って思われてしまうかもしれませんが、何ということもありません。外国人がカメラを向けてマイクを差し出せば、誰でも一定のことはしゃべってくれます。ただしその時には、明らかに彼らパレスチナ人もイスララエル人も、外国人に対して語っているということは意識しています。訴えたいことがある場合は強調が働くと同時にそれが誇張になることもあります。さらに言えば、インタヴューを取った外国人(日本人)がそれを自分の言語(日本語)にまとめることは、同じ言語、例えば日本語から日本語にまとめる場合よりもはるかに容易です。まとめる人にとって都合のいい処理ができるし、そのことをインタヴューを受けた現地の人も、日本の読者も検証するすべがありませんから。

 僕自身はジャーナリストではないですが、ここパレスチナ/イスラエルに長くいると、報道や日本語の本(訪問記など)で伝えられていることに、違和感を持つことが増えてきています。