パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2004.03.28

「パカパカ」

Posted by :早尾貴紀

 ヤーシーン暗殺があった日、エルサレムで、ヘブライ大のフラットメイトらとテレビを観ていた。ニュースでは、各地の抗議集会の映像を流しており、マイクを向けられた人びとが口々にイスラエルの暴挙は許せないとか、徹底的に闘うぞとか、そういうことを叫んでいた。早口で叫ばれているから、何を言っているか分からなくて、フラットメイトに尋ねると、アリ(仮名)

「何の意味もない。訳す必要もないこと。イスラエルは許せないとか、後悔させてやるとか、その程度のことを繰り返し長々言っているだけ。」

と言う。

さらに彼は、

「『パカパカ』って知っているか? アラビア語で『無駄なおしゃべり』ってことだ。こういうのをパカパカって言うんだ。」

と、ヤーシーンが殺された直後だというのに、ひじょうに冷徹に語った。

 それから数日して、ハイファ大学で、アラブ学生議会の選挙があるというので、別のフラットメイトのワーリド(仮名)が見に行かないか、と誘ってきた。ちょうどその日は暇だったし、つき合うことにした。
 選挙の構図は、「ダッジャンモ」というアズミー・ビッシャーラの政党と「アブナア・エル・バラッド」の連合と、対するのは「ジャブハ」という共産党系の政党、という一騎打ち。勢力は拮抗していて、選挙結果も議席数はほとんど同じだった。だから、選挙戦そのものは(一部で)ひじょうに盛り上がり、キャンパスでもその後の街中でも、乱闘騒ぎにまで発展する熱さだった。

 しかし、行く前から言っていたことであるが、ワリードは、自分はどっちも支持しているわけではないと言っていた。彼は、ハイファ大にも知り合いは多く、多くの人と会っては挨拶を交わし、立ち話をしていた。知り合いらは、双方の陣営にいて、ハンダラTシャツのユニフォームのダッジャンモ連合、ゲバラTシャツのユニフォームのジャブハ、そのどちらのTシャツを来ている人とも話をしていた。
 しかし、僕と二人になると、彼はこう言った。「オレは、ハイファ大学がそもそも嫌いなんだ。こうして何かいかにも大事なことをしているかのように、選挙で大騒ぎをしているけれども、こんな選挙はパレスチナ問題の争点になんか何一つ絡んでいない。誓ってもいいけど、彼らアラブ人学生の中で、分離壁を見たことがある人は5パーセントもいない。そんなことを真面目に考えちゃいないんだ。それが証拠に、お祭り騒ぎをしているけれども、具体的な争点なんて何一つないじゃないか。政治についてであれ生活についてであれ議論などどこにもない。自分の目的の一つは、こうした政党がいかにダメかを確認すること、そして自分に何ができるかを探ることだ。」

 政策論争も何もないけれども、いちおうの二つの陣営の違いを挙げると、ジャブハは二国家解決を支持していて、イスラエル国内でもユダヤ人との共存を求めている。それに対して、アブナア・エル・バラッドは、そもそもイスラエルの存在を認めずに「48年占領地」も含めた「歴史的パレスチナ」っていう立場だから、クネセト選挙も認めず、ボイコットを呼びかけている。また、ジャブハはいちおう共産主義を標榜している「左」で(とはいえ、別に共産主義の理念はもはやない)、ダッジャンモはナショナリスティックでかつプチブル的中産階層の既得権を気にする「右」。(と言っても、ジャブハだってアラブ政党だから、それなりに民族的ではあって、決してインターナショナリストではない。)
 ただ、みんなそういう差異をなんとなく知っているけれども、何か議論をしているわけではまったくない。僕が「何が違うの?」と質問をしても、きちんとした答えが返ってきたためしがない。そして選挙の終盤、投票の締切を迎えて、両陣営は結集して旗を振りながら歌い、音頭を取って歓声をあげている。ワーリドに、「何を言っているの?」と聞くと、「何も。ただ叫んでいるだけだよ」と。「ああ、こういうの『パカパカ』って言うんだろ」と返すと、「そうだけど、何でそんなの知っているの?」と。「アリがこのあいだ、テレビで叫んでいる人を指して、教えてくれた。」「ああ、アリか。でも、あいつはおしゃべりじゃないかもしれないけれども、社会を憂えるだけで、何にもしないだろ。何もしない点ではいっしょだ。」


 確かに、イスラエル・アラブの若者が、お揃いTシャツを着て、食べ物を配って、お祭り選挙をやりつつも、具体的な社会に関わる争点を持てないでいることは残念なことだし、ワリードが、ひじょうに冷めた目でこの選挙を見ていたのも、納得ができた。しかし他方で、(まだ若い彼にそこまで求めるのは時期尚早なのは分かるのだけれども)彼自身もやっぱり思いを形できないでいる。友人と取り組んでいたNGO立ち上げも中断しているようだし。その意味では、彼も「パカパカ」をしている。
「パカパカ」は、これから何かをするための前段階だったりするのであれば、必ずしも否定的なものでもないだろう。ただ、ワーリドが選挙を見ながら何度かつぶやいたのが、「半世紀ものあいだ進歩がない。本当に一歩も進んでいないんだ。それはシオニストのせいだけじゃない。パレスチナ人は現状を嘆いて、叫んで、それで終わりだ。」ということ。「こういう学生らを見ていると、本当に焦るよ。自滅しているって気がついていないんだから。」

 あまりに他人事のような書き方ばかりをしてしまった。外国人も「パカパカ」を繰り返していることは、あまり変わりがない。日本の中では、パレスチナに関しては報道番組もあるし、本も出され続けている。でも、「暴力の連鎖」だの「報復合戦」という報道を延々と繰り返しているだけなら、まさにそれは「パカパカ」だ。何の意味もない。それから、「占領と民衆」という構図だけで、これまた何十年も嘆き節のレポートを繰り返しているのも「パカパカ」だろう。占領が不正義なのも、民衆が抵抗するのも当然のことだ。20年前くらいまでならそれでもよかったかもしれない。しかし、ジャーナリストの多くも、そこで思考停止をしてしまっているように見える。こんなに悲惨なんだということだけで、報道が満足してしまっている。それで自分は親パレスチナだと自己満足している。
 そしてまた、現状を変えていくことにつながらなければ、僕がここに書いていることも、「パカパカ」と変わりがないのだろうということは、肝に銘じておかなければならない。