パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2004.03.28

政治と論理

Posted by :早尾貴紀

 エルサレムで不愉快なことがありました。不愉快なことではありますが、しかしある意味では典型的な事件ですので、みなさんの周囲でも起こりうることです。ご参考になるかと思います。

 ヘブライ大学に留学をしている大学院生から、食事に誘われました。研究のお話やら世間話やらしながら、日本人の留学生同士(僕はもう学生じゃないけど)で話をするということは、珍しいことではありません。でも僕は、他の学生らとはそれほど親しくはしていません。もちろん、その方と二人だけで食事に行ったことも初めてでした。(今後頻繁に言及しますので、仮に「Aさん」としておきます。)
 パレスチナ関係で僕のことを知っている人は、「早尾はヘブライ大のようなシオニスト大学で、他の学生ら(日本人留学生ら)といったいどうやってつきあっているのか」と不思議に思われているかしれません。要するに、日本人学生らとは、腹を割って率直に話をすることをしていないのです。

 その時も、あくまでタルムードだとかユダヤ思想だとかユダヤ法などのお勉強の話をしばらくしていたわけで、僕としては自分から現代の政治やら紛争の話は決してしませんでした。そういう学生らと噛み合う話ができるとは、最初から思っていないからです。それから、説得する対象とも見ていません。もしまだ、「迷いがあって判断がつかないから、お前の意見を聞かせてほしい」っていうくらいであれば、時間をとってでも話をしますが、そうじゃなく、その人に染みついたイスラエル・シンパシーがあるようなら、議論をしても疲れるだけだからです。
 とはいえ、僕がヘブライ大学にいる日本人留学生らの中で、ただ一人アラブ人学生とフラット・シェアで暮らしているということ(というか、世界各国の留学生の中で、アラブ人地区でアラブ・パレスチナ人学生とアパートをシェアして住んでいる人を他に誰も知りません)、それからどうやら頻繁にパレスチナ被占領地に出かけていることは、みんなに知られていることなので、僕がどんなに「ユダヤ思想研究者」と言ったところで、外からは「パレスチナ・シンパ」というレッテルが貼られているのです。

 で、そのAさんとの話の流れの中で、どうして僕がヨーロッパ・ユダヤ人の哲学者の研究の話から始まり、そこから文化シオニストの思想家の話に進み、さらに非シオニストや反シオニストのユダヤ人の思想や活動に関心があるという話に流れるに及んで、Aさんはどうしても政治的な話を振ってみたくなったのでしょう。

「早尾さんは、シオニズムに否定的なようですけども、ヨーロッパで差別をされて他に行き場所がないユダヤ人らに、私は同情します。ユダヤ人国家としてのイスラエルも支持します。」

 ほら、来たぁ! もう、その場で席を立とうとさえ思いました。

「あの、僕だってそういうユダヤ人への『同情』は否定しません。でも、それとアラブ・パレスチナ人を弾圧・排除して、ユダヤ人国家を作るってことは、まったく別の事柄でしょ。」

 できるだけ、政治的論争にならないように、言葉を選んで最小限のことだけを言いましたが、この一言を発するだけで、どれだけ消耗させられることか。

 しかし、この「パレスチナ人弾圧」でピキッって来たのかもしれません。Aさんは、即座にこう返してきました。

「パレスチナ人への弾圧とおっしゃいますが、じゃあパレスチナ人がやっているユダヤ人へのテロについては、早尾さんはどう思うんですか?!」

 さすがにこれにはムッときました。

「あの、僕はこういう質問に答えさせられること自体が不快です。僕がこれまでの話の中で一言でも、パレスチナ側を支持しているとか言いましたか? 仮にそうだとしても、シオニズムを批判する時なぜ僕がいちいち、『パレスチナ人のテロは間違っていると思いますが』と言い訳をしなければならないのですか? 言えと言われれば、いくらでも『テロ』について話すことはできますよ。実際に時と場合によっては語らなければならないとは思います。でも、パレスチナ『側』すべてがテロ行為の支持者と決めつけて、僕がその代弁者でもあるかのように態度表明を迫られるのは、不愉快です。」

 そして、僕自身の立場表明に答えるよりも、相手の言葉で当人の立場を問いただすべく、僕からこう切り返しました。

「逆にあなたは、はっきりとユダヤ人国家としてのイスラエルを支持すると言いました。ということは、僕からすれば、それは国家政策としての人種差別を支持しているってことです。シオニズムはレイシズムですから。レイシストでアパルトヘイト支持者だと自分で表明しているようなものですよ。イスラエルが国会で決めた法律と政策と正規軍でもってやっているシステマティックな大規模な破壊行為と、パレスチナの一セクトがやっている犯罪行為はまったく次元の異なる問題でしょう。僕はパレスチナのセクトがやっている『テロ』を犯罪だと非難するのはやぶさかではないけれども、それでシオニズム批判が帳消しにされるわけではない。それを並べて議論しようなんていうのは、まったく政治的な判断がついていないですよ。」

 もうこのあたりは、お互いにほとんど喧嘩腰。

 政治的判断っていうので、またピキッときたのかもしれません。Aさんはこう言い返してきました。

「政治とおっしゃいますが、でも政治力でいまのイスラエル国家が成り立っているわけで、占領下にパレスチナ人が甘んじているのも、自業自得だとは言えないんですか。これが政治的現実でしょう。いまさら48年の線引きに戻せとか言うのは間違っていませんか。戦争を仕掛けておいて(第一次中東戦争のこと)、負けて失ったものを返せって言うのは、虫がよすぎませんか?」

 Aさんは、どこかで(ってイスラエルにいればどこでも耳にする)こういうリクツを仕入れてきたんでしょう。でも、僕は一言もそんな主張はしたこともない。だけれども、Aさんは、パレスチナ「側」の人の思考回路はこういうものだと決めてかかって言ってくる。

「僕はそんなことを言ってはいないし、そういうことを言っているパレスチナ人をあなたは知っているのですか? それって最初からイスラエル批判を封じるためのレトリックでしょ。僕はシオニズムそのものを批判しているんだから、48年の線引きに戻せって話じゃないですよ。ユダヤ人国家という発想そのものが人種差別だって言っているんです。それに、そういう軍事力に支えられた政治力学の結果を全面的に受け入れろと言うのであれば、将来そのバランスが変わって、イスラエルが武力で消し飛んでもそれは仕方がないってことになりますよ。それに、その立場を取るなら、あなたはパレスチナの武装セクトのテロも批判できなくなりますよ。すべては力と力のぶつかり合いだと言うのであれば、どうしてテロ批判ができますか。」

「じゃあ、すべてのユダヤ人は出ていけっていうことですか? 行き場所がない彼らを追い出すっていうのは、ずいぶん乱暴な話ですよね。」

 とAさん。

「ヨーロッパが解決すべき民族問題がパレスチナに押しつけられたという事実を指摘しているだけです。『来るべきではなかった』と『今から出ていけ』は同じじゃないでしょう。シオニズムを解体するってことは、ユダヤ人もアラブ・パレスチナ人も、本当の意味で平等に生活できるようにするってことであって、出ていけなんてことを言っている人は実際にはいないですよ。論敵を貶める議論の捏造です。」

 と僕。

「平等な共存を求めるというのであれば、どうしてパレスチナ側は、イスラエルの提示する和平案をいつも拒否するんですか? 平和も共存も望んでなんかいないということ、そしてユダヤ人は出ていけということなんじゃないんですか?」

 とAさん。

「和平案と言うけれども、あなたはその中身を知って言っているんですか? イスラエルの提示する和平案っていうのは、つねに、『ここまで自分たちは取った。その既成事実を承認しろ。』っていうものですよ。で、それは道理が通らないと突っぱねたなら、『承認しないならべつにいいよ。武力で支配するだけだから。』と。これのどこが和平? 国際法にも違反し国連からも非難されている入植地を認めろ、水の独占を認めろ、イスラエルに出自も持たないユダヤ人の帰還法があるのに、パレスチナを追われた難民の帰還権は放棄せよ、と。どこに対等な共存がありますか。で、その和平案を拒否されてもイスラエルは痛くも痒くもないわけです。だって、それは全部既成事実だから。イスラエル側は何一つ譲歩することなく、パレスチナ側はつねに奪われてしまったものをあきらめろ、というのが受け入れられる和平案だと思いますか?」

 と僕。

 おおざっぱに整理をすると、およそこういう議論をしました。予想はできたことですが、「ああ、なるほどね」と応じてくれるはずもなく、また「参考にします」くらいの言葉も出てこない。だから僕は、議論などそもそもしたくなかった。そういう議論を振られてつき合わされたこと自体が釈然としなかったので、帰り際に少しだけ僕の側から言わせてくれと頼みました。

「僕はこんな議論なんて始めからしたくなかった。あなたがふっかけてくるから応じたけれども、やっぱりとても不毛なものでした。パレスチナ『側』を支持するのか、イスラエル『側』を支持するのかという二者択一は、ぜんぜん政治の議論にすらならない。ただの好みの問題だ。正義の問題じゃない。細部の事実を知らずまた知ろうともしないで何を話をしても、進展がないです。別にイスラエル批判に同調をしろとか、パレスチナ支持をしろだなんて、あなたに言うつもりもありませんが、少なくとも形式的な公平さだけは持っていただけないと、論理的な話ができません。あなたはユダヤ人に対して『同情』という言葉を使った。でも、同情というなら、どうして日々殺されているパレスチナ人には同情ができないのか。あなたはユダヤ人の『武力』による勝利も肯定をした。だったらパレスチナ側の用いる武力も非難できないじゃないですか。僕は、事実を丁寧に見れば『どっちもどっち』という話にはならないと思うけれども、あなたの場合はそういう形式性さえもなくて、たんに恣意的・感情的にイスラエル・シンパになっているだけにしか見えません。」

 例えば、日本の新聞とかテレビしか見ていない僕の父親や兄から、「お前はなんでパレスチナなんかに行っているんだ」と聞かれるなら、それはまあ仕方がないと思います。でも、少なからず論理を用いて仕事をするべき研究者で、かつイスラエルの現実を生で見ている人から、ここまで論理破綻をした政治的議論を吹っかけられると、相手をするのも疲れるし、そしてそれだけでなく、こういう人が日本に帰って専門家面をして「イスラエルとは」って語りだすのかと思うと、気が滅入ります。