パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2004.03.28

「パレスチナ人」を定義するのは誰か?

Posted by :早尾貴紀

 2月25-29日に、 アルカサバ・シアター の『 アライブ・フロム・パレスチナ 』が上演され、立ち見が出るほどの盛況でした。このサイトのスタッフのみなさんもいらっしゃっていましたね。
 演劇そのものについては、いろいろと感想もあるでしょうけれども、ここではちょっと余談めいたことを。

 アルカサバのツアー・コーディネーターで来られていた、メンバーの一人と話をしていたら、ちょっとキビシイことを言われてしまいました。僕が自己紹介がてら、パレスチナ・オリーブの仕事について話し、そのパートナーの団体(Organization for Democratic Action、アラビア語の略称では「ダアム」)について話をし、またエルサレムでヘブライ大の「パレスチナ人学生」らと住んでいる、と言ったら、彼は、「イスラエル人だ。パレスチナ人ではない。」と話を制止しました。さらに、「自分はそのダアムという団体を知っているし、個人的にも何人かイスラエル・アラブの活動家も知っているけれども、」と前置きをして、要するにこういうことを言いました。

「イスラエル・アラブは、イスラエル人であって、決してパレスチナ人ではない。」
「すべてのユダヤ人はシオニストでしかありえない。」

 この二点です。

 僕から再度、「パレスチナ人意識を持とうとしている人も少なくないでしょう」とか、「その分断こそはイスラエルが持ち込んだものでしょう」と反論をしても、「アラブ人だろうと、イスラエル人はイスラエル人。自分たちパレスチナ人とは違う。」とにべもない。
 また「反シオニストのユダヤ人だってたくさんいる。」と言っても、「世界中のすべてのユダヤ人は、シオニストだ。自分は確信している。」と断言。どうにも議論の余地なし、といったところでした。

 被占領地のパレスチナ人らの中には、確かにイスラエル国籍のアラブ・パレスチナ人のことを無視するか軽蔑する人がいるのは知ってはいましたが、しかしこういう「文化人=知識人」にはっきりとそう言われると、なかなかキビシイなぁと思いました。そんなことを言っていたら、それこそシオニズム批判の可能性の芽さえも自ら摘んでしまうことになるんじゃないかって僕は思うのです。

 東京でそういうことがあってから、間もなくまたエルサレムに戻り、フラットメイト(イスラエル国籍のパレスチナ人)らに、アルカサバのメンバーの一人から言われた件について、意見を聞きました。二人から異なる反応をもらいました。
 まず一人は、確かにイスラエルの分断の結果だとはいえ、イスラエル・アラブがパレスチナ人とは異なる存在になりつつあるというのは否定できない面がある、と言いました。

「お前はこういう話題を話すときに、オレとか○○(フラットメイトの一人)とは英語で話をするけれども、例えば○○(別のフラットメイト)とかよく遊びに来る○○は、ほとんど英語を解さないから、微妙なアイデンティティ問題なんか話さないだろ? でも、ヤツらははっきり言って、自分をパレスチナ人だなんて思っていない。」

 うーん、確かに。

「生活とか文化とか、そういうものの蓄積は、簡単じゃないんだ。パレスチナ人じゃないって断定するもの問題だとは思うけれども、彼がそうとしか思えないことには、仕方のない理由がある。お前も知っている通り、いまではイスラエル・アラブは、アラブ人同士でアラビア語で会話をするのにもヘブライ語を混ぜている。そんなことも、占領化のパレスチナ人からしたら、違和感になるんじゃないのか。」

 ところが、もう一人のフラットメイトは、その人がアルカサバの人であるという点を重く見て、こう言いました。

「彼らはごく一部の特権階級の中の特権階級だ。金にも困っていなければそうやって世界のどこにも飛んでいける。それでいて、西岸にいるというだけで、『俺たちパレスチナ人の苦難』という語りを独占できると思っている。イスラエル・アラブが置かれている二級市民としての地位とか、アイデンティティさえも持てないでいる苦悩とか、そういうことを考えない。単純なんだ。それに、アルカサバは、自治政府に近いどころじゃなくて、その一部だとさえ言っていい。占領地の中でだって、本当に生活の困難を抱えている人とは断絶している。彼らが僕らよりもそういう人びとに近いだなんてとても思えないけれど、彼らはただ西岸にいるというだけでその代弁ができると思っている。彼らの発想こそが、国境線にとらわれているんだ。」

 話が少し飛びますが、ピース・ナウとかグッシュ・シャロームなどのシオニスト左派の問題にも関連すると思います。彼らのよく使うスローガンの一つが、「アラファト自治政府との対話を。交渉は可能だ。」です。つまりそれは、右派の「パレスチナにはもう交渉相手はいない」というのに対する反論なわけです。
 アラファトの独裁、腐敗、人権侵害、利益独占などは、いまさら指摘するまでもないし、イスラエルの手先、一機関になっていると言ってもいい。ほとんどの被占領下の人びとにとっては、もはやアラファトは間接的な占領者です。シオニスト左派は、そういう問題にも目をつむっている。

 僕がこの問題で話をしたのは、あくまでその一人のメンバーだけであって、アルカサバ全体の意向についてどうこうは言えないですし、ディレクターのジョルジ・イブラヒーム氏と話をした感じでは、彼はもっと慎重に発言をする印象を受けました。しかしラマッラーの中心で活動をするということは、いやおうなくアラファト自治政府との関係がつきまといます。自戒を込めて言えば、そういうことには自覚的でなければならないと思いますし、場合によってはきちんとした態度表明も必要になるでしょう。