パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2004.03.26

イスラエル批判のディスクール

Posted by :早尾貴紀

 以下の文章は、ヤーシーン暗殺の直後に、とある日本の出版関係の方から、次のような質問を受けたので、それに答えてざっと書いたものです。別に活字になるものではなく、個人的に聞かれたものなので、個人的に勢いで返事をしました。だから、粗く断定的に整理をしてしまっているところもありますが、いまの議論の状況を眺めるのには、便利なところもあると思います。(以下、自分のメールの転載になります。)

(質問の大筋)

「ヤーシーン暗殺によってパレスチナ/イスラエル問題は短期的にかなり難しい局面を迎えることになったと思います。早尾さんの目には今回の暗雲はどう映っているのでしょうか。サイードを失ったいま、イスラエル批判はどのようなディスクールでありえるのでしょうか。危機感と共に深い関心を抱いています。」

 ちょっと回り道をしながらのお答えになりますが、、、

「サイードを失ったいま、イスラエル批判はどのようなディスクールでありえるのか」というのは、言うまでもなくひじょうに難しい問題です。ポスト・サイード的な知識人はいないかと考えることは、いったいどういうことになるのか。もちろん、そういう「代弁する知識人」探しということそのものの是非は問われるべきだと思いますが、どうしてもサイードの存在が大きかったために、そういう代弁者探しがなされる傾向はあると思います。

 いくつかの側面について分けて考えなくてはならないと思っています。
 まず(『未来』の11月号にも書いたことですが)、サイードはパレスチナの内部ではほとんどまったく読まれていません。彼が亡くなったときの反応も乏しいものでした。サイードは、ニューヨークで英語で書いていたからこそ重要であったという文脈が、日本のサイード・ファンの中ではすっぽりと落ちていると思います。サイードでもってパレスチナを語ることも、パレスチナでもってサイードを語ることも、ともにひじょうに日本的な誤りだと僕はかねがね思っています。
 とはいえ、世界に向けて通用する言語と思想でパレスチナについて語りつづけたサイードの存在の大きさは、否定できません。今後、その役割を誰がどのように担っていけるのかは、彼の遺産を受け継ぐうえでも重要な課題であると思います。
 サイード自身がこれまで、世俗性と民主主義の理念を共有できる「信頼できる仲間」として名前を挙げていた人が何人かいました。まずは、ハナン・アシュラウィ。彼女は一時期(オスロの前まで)パレスチナ交渉団の報道官をするなど、一定の「顔」になっていました。その後オスロ体制を批判してアラファト自治政府を離れるなど、スタンスはしっかりしていると思います。しかし、やはり英文学を専攻した欧米知識人というイメージが強く、サイードと同様にパレスチナの民衆からの支持はそれほど厚くはありません。
 占領地の中では、詩人のマフムード・ダルウィーシュ。しかし、やはり詩人は詩人であって、批評は本来の畑ではありません。それに、彼は自治政府発足後に亡命先からラマッラーに「帰還」をしているのです。彼の生まれ育ちは、1948年以降にイスラエル領となったガリラヤ地方です。いまラマッラーを拠点にしているということは、否応なくアラファト自治政府と関係を結ばざるをえません。そのことに自覚的であろうとそうでなかろうと。彼のオスロ体制批判には限界があると思います。
 あと著名な人として、エルサレムのアル・コッズ大の学長であり、PLOのエルサレム地区代表でもあるサーリ・ヌセイベがいます。しかしヌセイベは、昨今、難民帰還権の放棄も含めた独自の妥協的和平案を、イスラエル側と取りまとめようとし、パレスチナ民衆からはメチャメチャに批判されています。現実的妥協を探る政治家向きではありますが、原則を重視する思想家タイプではありません。

 イスラエル・アラブで言えば、筆頭に上がるのが、国会議員でもあるアズミー・ビッシャーラです。英語でも頻繁に論考を発表しており(例えばサイードが定期的に寄稿をしていたアル・アフラームにも)、いまでは代表的なパレスチナの知識人扱いをされることもあります。実際に、サイードからも「世俗的民主主義」の価値観を持つ知識人として、アシュラウィなどとともに名前を挙げられています。しかし、英語で出した記事によって海外から見られている顔は、国内では別の容貌になっています。プチブル中産階層の既得権だけを気にするポピュリスト。加えて、ユダヤ人も構成員に含むアラブ政党を非難する反ユダヤ主義者レイシスト。イスラエル・アラブからも、また反シオニストのユダヤ人からも、ほとんどいい評価を聞きません。(にもかかわらず、日本ではそういうイスラエル内部の事情が知られていないので、このビッシャーラに、ポスト・サイードの白羽の矢が立つことはありえると思います。完全に現実の文脈を無視したことだと思いますが。)

 ユダヤ人の知識人では、アモス・オズ、A・B・イェホシュア、そしてダヴィッド・グロスマンの、三大「和平派」作家がいます。日本でも、とくにオズとグロスマンの二人は翻訳をされていて、よく知られているところです。イスラエルでも新聞やテレビにたまに登場しては、重鎮的に平和を求めて現実を「憂慮」する発言を行なっています。しかし、三人とも自ら「シオニスト」であることを自任しており、オスロ体制の支持者です。思想的には致命的な限界を原理的に持っていると言わざるをえません。いまや彼らを「和平派」とか、「イスラエルの良心」として持ち上げることは、まったく意味がないと思います。

 穏健左派のハアレツ記者らの中の、最良の部分を形成しているのが、ギデオン・レヴィ、アミーラ・ハス、記者ではないですが定期的な寄稿者のメロン・ベンベニスティ、この三人です。レヴィとハスは、占領地からイスラエルの人権侵害を告発する誠実なレポートを送っています。しかし、上記の作家らと同様に、(ハアレツ全体がそうであるように)シオニストの限界を越えることはできないと思いますし、体制を変えていこうという力も意志もないとは思います。もちろん、その枠の内部で、彼らが書いている記事が重要であることに変わりはありませんが。

 ポスト・シオニストとして知られる知的潮流は、いまやほぼ消え去りつつあります。ベニー・モリスやゼエヴ・シュテルンヘルなどは、ポスト・シオニストの先駆けでしたが、中道化・右傾化して、ラディカルさを失いました。
 残っているのは、イラン・パペとトム・セゲヴの二人です。この二人の本は翻訳紹介をする意味があると僕は思っています。もちろん、最終的にどこまでイスラエル国家から距離を置けているかは微妙な問題をはらみますが、彼らの持っている歴史を相対化し、シオニズムの神話を解体する力は確たるものがあると感じます。

 イスラエルで反シオニストを明確にしているグループは二つありますが、もともとは70年代に活動をしていたマツペンという一つのグループだったところから別れました。一つが、Alternative Information Center(AIC)。ミシェル・ワルシャウスキーが中心で、昨年日本でも一冊翻訳が出されました。サイードのバイナショナリズムに共鳴をした主張の本です。また、彼が出している雑誌の編集顧問には(ズラッと知識人が名前を並べているのですが)、サイードの名前もありました。ただし、ワルシャウスキーも具体的で建設的な活動をイスラエル/パレスチナでしているわけではなく、周辺で遠吠えをしているという感が否めません。
 もう一つのマツペンからの片割れが、Organization for Democratic Action(ODA)。ちなみに、僕らがオリーブオイルやオリーブ石けんを輸入している相手です。ワルシャウスキーらとは、行動方針などで見解が分かれて、80年代初頭に分裂したそうです。大きな差は、AICがトロツキストの影響が強く、ODAが旧ソ連的なインターナショナリストであることでしょう。また、そうした思想的立場の違いだけでなく、(僕はODAとの付き合いが深いせいもありますが)ワルシャウスキーらは、イスラエル社会を変えるための具体的な行動をしないで、批評をもてあそんでいるだけだ、という批判は当たっていると思います。反対にODAは、ブリリアントな議論で批評をリードしようなんてことはしていないので、雑誌の記事は地味ですが。ただし、いずれにせよ、「反シオニスト」は、この右傾化した社会の中では特に、影響力は極めて小さいと言わざるをえません。

 最後に一つ僕が面白いと思ったのが、テルアヴィヴ大のイェフダー・シェンハーヴが昨年刊行した『アラブ系ユダヤ人』です。まだヘブライ語で出ただけで、英訳もされていないので、僕の現在のヘブライ語力ではまだなかなか読めないのですが、この本が出た衝撃は大きく、テレビや新聞でインタヴューがたくさん出ました。僕の感想は、それらの著者インタヴューなどの記事を読んだかぎりでの話です。ミズラヒーム(東洋系ユダヤ人)として差別される二級ユダヤ人は、その下位としてのアラブ人を激しく差別することによって、「正真正銘の」ユダヤ人たろうとする。だけれどもそれは近親憎悪の産物であって、ミズラヒームがアラブ人であることは否定できず、だからこそ自らのアラブ性の否定が、強烈にパレスチナ人弾圧に転化する、というわけです。そういうところから、「ユダヤ人アイデンティティ」そのものを根本から問い返すこの本は、ある意味ではシオニストにとっては危険なものです。シオニズムの根幹をなすユダヤ人の純粋性が揺るがせられるわけですから。この本は重要だと思います。が、著者のシェンハーヴが積極的にシオニズム批判・イスラエル国家批判に乗りだすかどうかは分かりません。

 ということで、「サイード後のイスラエル批判のディスクール」のありようは、アラブ・パレスチナ人の中から見いだすのは困難です。まだ可能性としては、ユダヤ人の側からシオニズムを内部から切り崩すことの中に見いだされるように思います。その中でも、シオニズム批判のメッセージ性がもっともはっきりしているのが、イラン・パペです。トム・セゲヴとイェフダー・シェンハーヴの仕事は、比較的周辺から掘っていくような作業、あるいはシオニズム解体を明言はしないかもしれないけれども結果としてそういう方向になる仕事だと言えると思います。(そして、イスラエルの外では、ボヤーリン兄弟などのディアスポラ主義者の仕事が、それに繋がるものだと思います。)

 それと、ヤーシーンの暗殺ですが、結果的には宗教問題的な語りに重心がずれていくことに危惧を覚えます。つまり、サイードなんかも主張していた世俗性が吹き飛んでしまう(政治において世俗性を打ち出すことは、言うまでもなく宗教そのものの否定ではありません)。実際に宗教対立ではないのはもちろんのことですが、政治勢力として宗教的なところが台頭してくることは、一概には否定できないものの、パレスチナ/イスラエル問題の文脈では、どうしても宗教的対立の問題に焦点がずらされることになります。現在のハマスを中心とした問題も、世俗か宗教かという対立ではなく、アラファト自治政府批判が結果としてハマス支持につながっている、という構図です。つまり、いまや独裁・腐敗の温床となり民衆のことを省みず権力と利権に汲々としているアラファトとその近辺に対して、ハマスへの厚い民衆の支持は、貧しい人びとへの医療や教育や福祉などを行なっていることなどによります。本来的には、アラファト批判の受け皿であるということが基本なのですが(つまり宗教性は本質的な問題ではない)、ハマスが宗教勢力であることで、宗教の問題に帰せられてしまう。またそれはイスラエル側にとっても都合がいいことなわけです(過去にイスラエルがPLOを牽制するためにハマスに資金援助などをしていたことは有名な話です)。宗教対立であるという外観は、ユダヤ教国家にとっては(宗教による)国民アイデンティティを強化する上でも好都合ですから。
 先に、サイード後のイスラエル批判のディスクールをアラブ・パレスチナ人の中から見いだすのは困難と書きましたが、問題は、アラファトでもハマスでもない批判のスタンスが勢力を持たないことです。アラファトかハマスか、傀儡自治政府か宗教原理主義か、みたいな二者択一になるのは、イスラエルの思う壺です。どちらもイスラエルにとって都合のいい補完物にすぎないからです。そうではない本当の民主主義こそが、イスラエルにとっての脅威なはずです。

 そう考えると、いま必要なことは二つあると思います(そのどちらもこの先何十年とかかる困難な仕事だとは思いますが)。パレスチナの側の文脈で言えば、反アラファトの民主勢力を育てること。これはもう自明のことですが、しかしそういう人びとの芽はこれまであったにもかかわらず、イスラエルとアラファトによって潰されてきたものです。「アラファトの代わりはいない」って言われるのは、イスラエルとアラファトがそれを潰してきたからですね。ポスト・アラファトを見越した射程で考えることは、危機からチャンスを見いだす作業だと思います。
 イスラエルの側の文脈で言えば、とにもかくにもシオニズムの解体。そのためには、ピース・ナウだとかダヴィッド・グロスマンだとかヨッシ・ベイリン新党などのシオニスト左派には希望を見いだすのをやめることだと思います。それらはリクードのような右派が台頭しているときには、対抗勢力として期待をされてしまうのかもしれませんが、トータルで見ればシオニズムの強化でしかありません。そして、シオニスト左派は、アラファトを支持していることからも明らかですが、やはりシステムの補完物でしかありません。そのシステムを批判するためにも、それから宗教対立の外観を取り除くためにも、シオニズムをユダヤ教の内在的な立場から批判して解体をしていくことが大事だと思います。そういう批判のディスクールは、僕はボヤーリンとかシェンハーヴにこそ見いだせると思っています。

 しかし、ヤーシーンの暗殺は、(短期的には)そうした一切合切の批判を吹き飛ばしてしまうものであることは確かです。宗教勢力の反発とアラファトの存在意義が相補的に高まり、かつそれがイスラエル政府の思惑通りという、悲劇的な状況です。だからこそ、それに対抗する批判のあり方を模索し続けなければならないと思います。

 まとまりなく、かつヤーシーン暗殺を迂遠してしまい、すみません。

 では。早尾

(3月22日)