パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2005.02.09

入門書の難しさ

Posted by :早尾貴紀

 最近、パレスチナ問題に関する入門書を二つ読みました。一つが、山井教雄『まんが パレスチナ問題』(講談社現代新書、2005年)、もう一つが、浜林正夫・野口宏『よくわかるパレスチナ問題』(学習の友社、2002年)です。
 入門書ほど書くのが難しいものはないだろう、と常々思います。とくにパレスチナ問題については、単純なステロタイプはすでにマスコミに溢れており(「宗教紛争」とか「報復合戦」とか)、それを丁寧に解きほぐすことが求められているわけですから。しかし、単純化しないで丁寧に書こうとすればするほど、複雑な細部が捨てられず、明快さを失い入門書から離れていってしまう。
 そういう意味では、僕はこれまで、知人に「何かパレスチナ問題について入門的に読めるものがあったら教えて」と頼まれると、奈良本英佑『(新版)君はパレスチナを知っているか--パレスチナの100年』(ほるぷ出版、97年)を勧めていました。「中学生にも読めるように」と漢字にルビまでふってある本でありながら、内容が濃く、かつ、シオニズム運動以降のパレスチナ問題の展開をバランスよく紹介しています。
 それを加えて、いま手元に三冊の入門書があります。それを比較してみて、気づいたこと、気になったことなどを少しばかり記しておこうと思います。

 山井氏の『まんが パレスチナ問題』は、率直に言って、期待外れでした。特徴としては、挿し絵をふんだんに使っていること、そしてアラブ・パレスチナ人とユダヤ・イスラエル人の男の子二人を登場人物に仕立て、彼らの口から随時それぞれの民族的な視点を語らせていることです。
 しかし、この本には問題と感じたことがいくつかあります。一つは、歴史をユダヤ教の興りの起源にまで遡って、そこから延々と通時的に3000年もの歴史が書かれているので、「二人の対話」があるにもかかわらず、記述が平板になっていることです。また、二人の口からセリフとして語らせていることで、事実関係の示唆も短い文章でブツ切りになっているので、かえって因果関係が見えにくくなってしまっている、つまり歴史のダイナミズムに欠ける、ということになってしまっています。無味乾燥な歴史の教科書を、さらにその筋だけを取り出している感じなので、教科書よりもさらに味気がなくなっている。
 加えて、「二人の対話」という形式そのものにも問題を感じます。一方の視点に偏らず中立的な立場を、という配慮だということは分かるのですが、その見方は実は「宗教紛争」だとか「報復合戦」というマスコミのステロタイプと通底するものだと思います。両論併記で客観性を装うもので、かえってこの100年のシオニズムの占領の歴史の本質を見失わせるのではないかという危惧を持ちます。
 それと、(本質的な指摘かどうか分かりませんが)「まんが」という謳い文句は虚偽表示でしょう。ただの「挿し絵」です。しかも、その挿し絵が、とくだん理解の手助けになるようなものとなっていない。「まんが」を自称するなら、ジョー・サッコ(Joe Sacco, "Palestine")くらいのことはやらなくちゃ。
 とはいえ、新書サイズで「まんが」とタイトルに入っていれば、それだけで、これまでパレスチナ問題を食わず嫌いしていた人も、思わず手に取ってしまうかもしれないというポジティヴな効果は期待できるかもしれない、とも思います。

 次に、浜林・野口氏の『よくわかるパレスチナ問題』です。この本も宗教的な起源から話が入っているとはいえ、そこの分量をぐっと少なくしており、バランスとしてはそれほど悪くはないと思います。また、へんに「中立」とか「客観」を装わずに、はっきりと著者の視点から問題の焦点を見定めているところも、明快で好感が持てました。その彼らが焦点化している問題というのは、イスラエルの建国とその後の数次にわたる中東戦争と、そしてパレスチナの占領政策のほぼすべてに、アメリカが深く関与をしているのであり、その責任は重大である、というものです。もちろんイスラエル建国以前には、イギリス(とフランス)による有名な三枚舌外交があるというのは当然のことです。しかし、それにも増して、現在に至る深刻なパレスチナの占領・生活破壊をイスラエルのほしいままにさせているのは、アメリカのご都合主義的な中東政策のためである、ということ、そしてそれをアメリカに許してしまっているのは、日本も含めた国際社会であるということ、そこに私たちの責任があるのだということ、このことを著者らは訴えています。その主張はまっとうで、共感のできるものでした。
 やや難点を挙げると、著者らは二人ともとくだんパレスチナや中東を専門としているわけではないため、細かな事実関係でいくつかの間違いや曖昧な点があるということです。大きなミスではありませんが、誰かパレスチナ問題に詳しい人にチェックを入れてもらうべきであったと思います。(専門家ではないという意味では、山井氏もそうですね。もちろん専門家じゃなければ書いてはいけないというわけではありませんが。)

 ということで、結局僕は、「どれか一冊」と聞かれたら、やはり奈良本氏の『きみはパレスチナを知っているか』を選びます。奈良本氏はパレスチナ問題を「専門」にしているというところでも、事実関係の記述に信頼が置けますし、またコラムなどで取り上げるエピソードなどの選択も適切であると思われます。また、副題の「パレスチナの100年」という表現からも明らかなように、パレスチナ問題を明確に、この100年の問題である、つまりヨーロッパの排他的民族主義に端を発するユダヤ人差別に根本的な原因があるのであって、宗教的な起源に問題がはらまれているわけではない、ということをはっきりと打ち出しているのです。これも他の二著とは異なる点です。
 繰り返しになりますが、「入門書」は難しいです。奈良本氏の本の後から最近になって出された二つの新刊が、前の本以上のものを作れなかったということからも、その難しさがうかがえます。入門書は、「自分も素人ですから、素人なりに」ということで書けるものではなく、深く知った上でその本質を明晰な言葉で説明をしなくてはなりません。そういう意味では、奈良本氏の本は、妥協のない入門書だと思います。