パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2005.12.06

エチオピアの「ユダヤ人」の「人権問題」?

Posted by :早尾貴紀

 エチオピアには古代キリスト教の文化習慣が色濃く残っていると言われるが、それはその地域のキリスト教への集団的「改宗」以前の「ユダヤ教」と通底するものとされている。だが、はたしてそれはいわゆる「ユダヤ教」と言えるのかどうか。

 ユダヤ教は、何をさしおいても、バビロニア・タルムードを抜きには語れない。神殿崩壊と捕囚、そのディアスポラの地において編纂された聖典タルムード(律法に対するラビたちによる膨大な解釈文書群)こそが、ユダヤ教文化を形作ってきたと言える。そのタルムードが成立したのは6世紀頃と言われている。

 それ以前にキリスト教化したエチオピアにおいて、現在でも「ユダヤ人」が残っている/いたとしても、彼らが信奉しているのは、「トーラー」(モーセ五書:旧約聖書の最初の五書)であって、タルムードは一切受容されていない。それゆえに、イスラエルのラビたちの多くは、「ファラシャ」と呼ばれるエチオピアの「ユダヤ人たち」を認めていない。また、ユダヤ教徒を自任する者とキリスト教への改宗者を自任する者との線引きも限りなく曖昧にならざるをえない。

 そうした中で、イスラエルは過去二度に渡り、大規模なファラシャのイスラエルへの移送作戦を実行している。1982〜84年にかけての「モーセ作戦」と、1991年の「ソロモン作戦」として知られているが、それらはいずれも、エチオピアの貧困や政治混乱の中から「ユダヤ人を救い出す」という名目の「人権問題」として対外的には位置づけられていた。それぞれの作戦で、約1万人と約1万4千人が「救出=移送」されたことで、ほぼすべてのファラシャ=「ユダヤ人」がイスラエルに移住をし、エチオピアにはもう「ユダヤ人」は残っていないとされた。そして、イスラエルに「救出」をされたファラシャたちは、他のユダヤ人移民と比べて格段に厚遇をされて、イスラエル社会への適応を促されている、と公式見解では言われる。だが、、、

 そのタテマエを掘り崩すような新聞報道がイスラエルで絶えることはない。毎週のように『ハアレツ』などのイスラエル紙には、一つ二つのファラシャ絡みの記事が出る。そこではたいがい二つのことが問題とされている。

 一つには、イスラエル社会の中でのファラシャへの根深い差別の問題だ。住居や進学、就職などなど、生活のあらゆる場面において、エチオピア出自のユダヤ人たちは差別を受けていると感じており、ときには国会前や首相公邸前などでデモや集会を持つ。

 もう一つは、なおエチオピアに残る「ユダヤ人」たちの移民計画の問題である。とりわけ、選挙前になると、票稼ぎという思惑も手伝い、国会で頻繁に議題にのぼる。曰く、「社会統合の壁が現実にあることを考慮すると、年間2千人を上限に徐々に受け入れるべきだ」、「いや、即座に2万人のファラシャを受け入れて、一気に解決を図るべきだ」、等々。前者は保守層・特権層を意識した議員の発言であり、後者は新移民らへのアピールを意識した発言であろう。

 しかし、イスラエルは、エチオピア系のユダヤ人を「厚遇」しているのではなかったのか。しかもそれは、「シオニズムは人種差別である」とした有名な国連決議への反証材料として意図され、実際そう利用されてきたのではなかったのか。また、80年代と90年代の二つの大規模な移送作戦によって、「ほぼすべてのユダヤ人」がイスラエルに運ばれ、エチオピアのユダヤ人問題は「最終解決」を見たのではなかったのか。なぜ2万人もの「ユダヤ人」がまだ残っているのか。

 つい最近、二度の移送作戦のうち、ソロモン作戦の指揮を執ったアシェル・ナイム氏の回想録が、日本で翻訳出版された。『エチオピアのユダヤ人――イスラエル大使のソロモン作戦回想記』(鈴木元子訳、明石書店、2005年)である。この作戦が「たった一人のユダヤ人の命のためにも全力を注ぐ」という姿勢に貫かれていたことを誇らしげに謳うこの著書の中に、ある印象的な場面の記述がある。それは、当時まもなく亡命することになるエチオピアの独裁者メンギストゥが、著者で作戦指揮者のナイム氏と取り引き交渉をする場面で発した言葉だ。

「もしあなたが非ユダヤ人の中からユダヤ人を拾い上げるようなことを始めたら、イスラエルにエチオピア国民全員を連れて行くことになりますよ! なぜ? なぜなら、私たちは四世紀にキリスト教に改宗する前は、全国民がユダヤ教徒だったからです。それでは、あなたは一体どこで線を引きますか? スズメバチの巣ですよ、君がみつけるのは。」(pp.28-29)

 実際、いま次々と、自分がユダヤ教徒であるとか、ユダヤ教にルーツを持つと主張し、イスラエルへの移民(アリヤー)の権利を認めることを訴える「ユダヤ人」が現れてきている。その数は限りなく増え続け、ついには、エチオピアのある一つの州全部の住民がそれを主張している。その数600百余万人。それは、イスラエル国家の現在の総人口に匹敵し、そこからアラブ系を除くイスラエルのユダヤ人人口と比較すれば、それを凌駕してしまう数字である。まさかイスラエルは彼らの移民を受け入れることはないだろう。そうすると、イスラエルは、やはりどこかで「線を引く」ことをせざるをえないし、実際つねにそれをし続けている。

 だが、ここでイスラエルのシオニストらは、ジレンマに陥るだろう。シオニズムとは、イスラエルが純粋にユダヤ人だけの国であることを目指す思想運動である。一人でも多くのユダヤ人を世界中から集めて、一人でも多くのアラブ人をイスラエルから放逐することを至上命題とする。もちろんこれは理想にすぎず、それを実行しようなどと考えただけで、恐ろしい民族浄化が具体化する(もちろんそれはいまでも静かに進められている)。現実には、狭い意味でのイスラエル国家の領土ではユダヤ人の「絶対多数」を維持すること、パレスチナの占領地をも含めた「大イスラエル主義」的な領土で見てもユダヤ人の「過半数」を維持すること、これはシオニストらにとって死守すべきラインである。だが、イスラエル得意の人口統計学的な観測によると、現在イスラエル国籍者の2割を占めるアラブ・パレスチナ人は近い将来において、このままの出生率で計算するとその比率を3割にまで増やすだろうと言われ、また、西岸とガザの占領地を含めた「大イスラエル主義」的な領土拡張主義の立場に立てば、おそらく現時点において西岸の入植者(45万人)を含めたユダヤ人の総人口約550万人は、西岸とガザとイスラエル内のパレスチナ人の総人口(推計550万人)と拮抗しているのではないかと言われている。さらには、イスラエル国籍を取得したユダヤ人移民のうち、事実上はイスラエルで生活することをやめて恒常的に海外に在住している約70万人のことを考えると、「大イスラエル」の中ではユダヤ人は相対的にマイノリティに転落しているのが実情なのではないか。そういう危機感がシオニストにはある。(もちろんこれは、ガザ地区から入植地を引き揚げること、つまり「一方的分離」と呼ばれたものの強い動機づけとなった。)

 この危機を「脱する」ことは難しいとしても、危機が本当の危機になることを少しでも先送りをするために、シオニストがまず手っ取り早くできることと言えば、(アラブ諸国や世界中から批難を浴びるあからさまなパレスチナ人追放よりも)世界から「ユダヤ人」を見つけてきて、イスラエルへの移民を促すことである。もちろんこの半世紀以上のあいだ、そのことに傾けてきたエネルギーと資金は尋常なものではない。だが、アメリカやヨーロッパ諸国で安定した経済生活を送るユダヤ人に移民を決断させるには、おのずと限界がある。

 そうすると、実際に人的資源(というよりむしろ「人口的資源」)としてアテにできるのは、まずはロシアなど旧ソ連圏。しかしソ連邦の崩壊と移民解禁から十数年を過ぎ、もはや「玉切れ」が近づきつつある。しかも、エチオピア並みに、あるいはそれ以上に、「ユダヤ人としての出自」においては限りなくあやしいキリスト教徒の割合が半分に達している。

 そうなると、イスラエルはつねに、「輸入可能なユダヤ人」の「潜在的ストック」として、エチオピアの「ユダヤ人」たちを確保し続けざるをえないのではないか。600万人は極端としても、つねに数万単位の「ユダヤ人」らを移民(アリヤー)の是非の境界線上に置き続け、その「線引き」をどこにするのかを延々と議論し続けざるをえないことになるのも、こうした事情が背景にある。

 最後に、刊行されたばかりの『エチオピアのユダヤ人』について一言。これが、「人権問題」に関して重要な本をたくさん出している明石書店から、「世界人権問題叢書」の一巻として出されたことには、失望を禁じえない。たしかに、「人権」を盾に取った「問題」であるかもしれないが、人種差別としか言いようのないシオニズム運動として取り組まれた移送作戦についての回想録は、まかり間違っても、明石書店の「人権問題叢書」に組み入れられるべきものではない。せいぜいがミルトスあたりが釣り合った出版社と思われる。(何世紀にもわたる多民族共存の歴史があり、またその歴史の中で二〇世紀には、その各民族に高度な自治を与える枠組みが検討されたことさえあったはずだ。その共存の歴史を一顧だにせずに、「ユダヤ人」を「発見」するかたわらから移送をしていくことの、どこが人権への取り組みなのか。端的に民族共存の否定に他ならない。)

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