パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2005.12.16

「ルート181」における水問題

Posted by :fibonacci

来月、関西で「ルート181」の初上映があるので、それを記念して映画の中のひとつのシーンについて書いてみたい。まだ見ていない人には少しネタばれだが、そうたいして問題にならないはずだ。たぶん、知っておいて見てもここはかまわないと思う。

そう多くの人が気づかない「問題の」シーンは、最初の南部のパートにある。場所はガザに近いニル・アム。貯水池のシーンに続いて、博物館が登場する。そこで館長のようなイスラエル人のおじさんが振るう「熱弁」にも突っ込みどころが満載なのだが、外でこのおじさんがにこやかに語る夢の部分を取り上げてみる。

おじさんはカナダの公園の写真を手にして、そこに写っている豪華な噴水と同じものを作りたいという夢を語る。

「100万ドルあればできるんだが…」

素晴らしい噴水に、温水プール。その水を使っての養魚場、さらに果樹園などへの潅漑。寄付を集めて、博物館の外にそのような一大施設を作りたいのだ、とおじさんは上機嫌で語り、こんな歌を歌いながら帰宅していく。

「我らはまだ水を飲めずにいるぞ 我らに水を 絞りたてのワインを」

この男性がまったく無自覚なのは、わずか数キロ先に飲み水にさえ事欠く人々が生きているという事実だ。

パレスチナ人が許されている水の消費量はイスラエル人の5分の一。しかも、人口が密集するガザでは浅い井戸しか許されていないので、塩水化がひどい水しか手に入らない。この塩分濃度は国際的な容認基準の4倍に達し、住民の健康を脅かしている。ここ数年間にガザでイスラエル軍によって破壊された井戸も何十カ所にも及ぶ。(詳しいことは パレスチナにおける水問題 に)

この地での噴水やプールの景色というのは、じつは搾取の象徴なのだが、語り手の男性はそんなことにまったく頓着しない。だが、これはイスラエル/パレスチナの問題だけではなく、私たち自身がまったく気づかずに過ごしていることでもある。石油やガスをふんだんに使い、快適な暮らしが成り立つ裏側に、そのせいで生活や生命を脅かされている人々がいる。

私たちの暮らしのすぐ近くにはそれらの人々が見えないだけで、イスラエルでは同じ場所にそれらの人々がいるというのが違っている。そんなことを考えさせてくれたシーンだった。

水をテーマにしたこの博物館は「ニル・アム・キブツ 水と安全の博物館」という。「水と安全」──そのどちらもがパレスチナ人からは取り上げられているものだ。


「ルート181」の関西での上映は京都1月28日、大阪1月29日(2006年)。12月24日にはNHK教育ETV特集で監督たちのインタビューなどを挟んだ特集番組が放映されるらしい(あくまでも放映予定です)。

上映についての詳細は 「ルート181」:関西上映 京都・大阪