パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2006.05.08

イスラエルによる国家的文化収奪ーーブルーノ・シュルツの壁画の行方

Posted by :早尾貴紀

 かつて東欧にブルーノ・シュルツというユダヤ人の芸術家・作家がいた。1892年に、現在のウクライナの西端、ポーランドに接するドロホビチに生まれ、その地で生活をし、1942年にナチス兵士によって銃殺された。シュルツ自身は、ポーランド語を母語とし、ポーランド語で創作活動をしていたので、「ポーランド語作家」と言っていいだろう(当時このあたりのユダヤ人の8割はイディッシュ語話者であったが)。
 ドロホビチは、1892年当時はオーストリア・ハンガリー帝国領、1921年にポーランド領となり、シュルツもポーランド国籍を得た。1939年にナチス・ドイツがポーランドを侵攻・占領。独ソ不可侵条約によって、ドロホビチを含む地域はソ連へ譲渡され、ウクライナ地域に統合された。41年の独ソ開戦によって、ドロホビチは再度ナチスによって占領され、その翌年にシュルツは銃殺されている。
 ブルーノ・シュルツは、画家であり版画家であると同時に、小説や評論も書き残しており、その日本語訳は高額な『ブルーノ・シュルツ全集』(工藤幸雄訳、新潮社)でしか読めず、しかもそれさえも絶版状態であったが、最近その小説のみが廉価な平凡社ライブラリーに入った(『シュルツ全小説』)。貴重な仕事であるので、出版社の取り計らいに感謝をしたい。

 ところで、ここに書きたいことは、シュルツの芸術や文学の評価についてではない。平凡社ライブラリー版のために訳者・工藤幸雄氏が新たに記した訳者解説の末尾に、驚くべき〈事件〉が書いてあった。
 2001年になってから、シュルツの描いた壁画数点が、ドロホビチの家屋で発見された。家主が変わるごとにペンキが塗り直されており、三重のペンキの下から出てきたという。ポーランドとウクライナの研究者・専門家が集まり鑑定し、シュルツの作品に間違いないことが確認され、残りの壁画の発掘作業が続けられ、作業が無事に成功し、ポーランドとウクライナ両国の文化当局が「保護美術品」として指定したその数日後。「信じられない方向へと事件は急転した。何者と知れず、壁画が持ち去られたのだ。」(p.477)
 しばらくしてから、この〈犯行〉が、イスラエルの国立ホロコースト博物館「ヤド・ヴァシェム」によるものだということが明らかとなった。イスラエルが無恥にも「公式発表」をしたらしい。訳者・工藤氏は「国家的盗賊行為」と呼んでいる(p.478)。シュルツ研究の第一人者もまた「シュルツの墓標はどこにもない。そして壁画もいま冒涜を受け、単身で移送され、身寄りのない他郷へと追放された」と歎いたそうだ(p.479)。

 目が点になるような暴挙ではあるが、イスラエルという国家がある時期から国家存在の正当性をホロコースト(ヨーロッパのユダヤ人虐殺)の記憶に大きく依拠しているという事実に鑑みれば、ホロコーストの犠牲となった文化人の功績を、「国家的に収奪する」ことはある意味必然性がある。許されることではないし、非常識きわまりないが、ユダヤ人国家イスラエルがホロコーストによって担保されているならば、イスラエルの立場からすれば、ホロコーストの遺産はすべからくイスラエル国家に帰属しなければならない。
 しかしここで二重、三重の留保が必要なのだが、そもそもユダヤ人国家の建国運動としてのシオニズムは、ホロコースト的なるものつまり受動性を否定する、マッチョなナショナリズムであったはずだし(シオニストにはホロコースト犠牲者への侮蔑こそが見られた)、また、ナチスがユダヤ人を追放する限りにおいては、ヨーロッパからパレスチナへの移民にとってプラスになるとシオニストらは考え協力していたのではなかったか(シオニストとナチスとの共謀関係)。それを指摘したのが、ハンナ・アーレントやレニ・ブレンナーであった。
 人類未曾有のホロコーストがあった、ヨーロッパに自分たちの居場所はない、だからパレスチナの地が必要なのだ(反転して、「だがパレスチナ人には他にも広大なアラブ諸国の土地がある」)、というのがアイヒマン裁判以降の、つまり1960年代以降の一貫した国家ストーリーである。「ユダヤ人にはユダヤ人だけのための民族国家が必要だ」という排他的19世紀的ナショナリズムを、欧米諸国に批判・否定させないための「切り札」として、そしてパレスチナ占領政策批判を封じるための「切り札」として、ホロコーストが機能するようになったのだ。
 もう一つ注意が必要なのは、イスラエルが、こうしたヨーロッパにおけるユダヤ人の文化と記憶の国家的収奪をしているのと同時に、しかし、パレスチナへの土着性を訴えるためにアラブからも文化収奪も行なっているということだ。ユダヤ人のパレスチナの土地との結びつきを訴える、「ネイティヴ性」の捏造だ。ファラーフェルなどの民衆的食文化を、「イスラエルのナショナル・フードだ」と言い募るのがその典型と言えよう。

 壁画の行方ひとつからさえも、イスラエルという国家の性格をあらためて考えさせられた。