パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2006.06.24

朝日新聞の「内通者公開処刑」記事の錯誤

Posted by :早尾貴紀

 6月24日の朝日新聞に、「パレスチナ難民キャンプ「公開処刑」黙認」と題する記事が出ました。以下がその冒頭部分です。

 パレスチナ自治区ヨルダン川西岸北部のナブルスにあるバラタ難民キャンプで先月、「イスラエルへの内通者」と糾弾された男性が正式な裁判もないまま、群衆の目の前で武装集団に殺された。しかし、事件はほとんど話題にされていない。イスラエルの占領下で地元の治安組織が動けない中で、「内通者の殺害はやむを得ない」と容認する風潮が広がっている。

 ここで論及されている公開処刑については、僕もハアレツなどの新聞で先月読んだ記憶があります。同日、この内通に関わった別の女性も処刑されており、この女性については非公開で家族らが手を下しました。たしかに酷いことでしょう。朝日新聞も、裁判を経ていないことや冤罪の可能性のあることを指摘し、人権という観点から問題のある行為であることを示唆しつつ、しかしそれがいまのパレスチナ社会では「容認」されていることを指弾します(つまりモラル崩壊を言いたい)。
 この記事ではさらにその「背景」として、パレスチナの治安警察が機能しておらず、武装組織の私刑が横行していることを指摘します。

 4年前にイスラエル軍がナブルスを再占領して以来、地元の治安要員はイスラエル軍部隊が市内にいる間は制服を着て武器を持ち歩くことを禁止されている。同軍報道官は「無用な衝突を避けるため」と説明するが、治安要員は丸腰の私服姿で行動せざるを得ず、武装集団に対処できない。

 これも一つの分析でしょう。
 しかし、どうにも違和感を拭い難いのは、これをいまこのような形で伝える朝日ないし記者の意図です。いや、もっとはっきり言えば、はたしてこの記者はイスラエルによるパレスチナ占領がどういうものか、そもそも根本的にわかっているのか、ということさえ疑問に思えてきます。
 冷静に考えれば、以下のような単純な事実は簡単にいくつか挙げられるでしょう。

1、「超法規的公開処刑」と言うならば、それは毎日のようにイスラエル軍がパレスチナの占領地で行なっています。「暗殺作戦」という名目で。「標的」とされた「武装組織」の「活動家」は裁判などにかけられることもなく、なんの証拠も示されることなく、次々と殺されていっているのです。「冤罪」の可能性はいくらでもあります。実際に「活動家」なのかどうか、実際に本人が何かの武力行使に関与していたのかどうか、取り調べもなければ釈明の機会もなく、殺されているのです。朝日新聞は、この日々の暗殺作戦、つまり「超法規的公開処刑」自体が、不法行為であり人権侵害であるということを指摘したことがあったでしょうか。せいぜいが付随的に「誤爆で民間人が巻き込まれた」と報じる程度でしょう。

2、「内通者」の問題は、イスラエル軍による1967年の西岸・ガザ地区の全面占領以降、ずっとある問題です。そして、1987年からの第一次インティファーダの時期には、「内通者」の処刑が大きく問題になりました。その数は正確には把握し切れていませんが、イスラエル軍による殺害者数に匹敵するくらいだという指摘もあります。もちろん2000年以降の全面的な再占領以降もまた、この「内通者」と処刑の問題はたえることなく続いています。これまでこの問題を継続取材していたわけでもない朝日が、なぜいま唐突に、ことさらにこの一件を取り上げたのでしょうか。(たまたまハアレツの記事を朝日の特派員が読んで、この種の事件を初めて知ってショックを受けたから、という程度のことではないかと疑います。)

3、そして、「内通者」がいるということは、言うまでもなく、彼らを雇っているイスラエル軍がいるということであり、そうした内通者を使う軍事作戦の実態がいったいどのようなもので、パレスチナ社会に対してどのような影響をもたらしているのかなど、もっともっと掘り下げて報じるべきことが山のようにあるはずです。実際、内通者たちは、えげつないまでに陰湿な暴力をともなってイスラエル軍によってリクルートされており、そのことで家庭や地域コミュニティの連帯が崩壊させられているのです。「密告社会」ができあがり、相互に猜疑心を尖らせている。そして内通者は掴み金程度をもらって、いざとなったら使い捨て。身に危険が迫ってもイスラエル政府は守ってはくれません。朝日新聞はどうしてそのことこそを報じようとしないのでしょうか。

 とりあえずパッと思いつくだけ3点を指摘しましたが、この「内通者問題」(スパイ問題とかコラボレーター問題などとも言います)は、「占領」という問題それ自体を考える上で、ひじょうに深刻な背景をなしているのです。「公開処刑を黙認するパレスチナ人たち」みたいな安直で表面的な触れ方で、何かを分かった気になる、あるいは人権という観点で記者/新聞社自らは一貫している気になるというのは、実は問題の全体と本質をかえってみ見失っていると言うべきだと思います。
 あるいは、治安警察が丸腰であるために武装組織が我が物顔に振る舞っているということが問題の核心でもないはずです。内通者を出す軍事占領という支配制度それ自体の問題であるはずなのに、この記事ではまるで「治安警察vs.武装組織」という構図の問題であるかのような印象です。これもまたひどい錯誤だと思います。

 なお、内通者問題については、一つのドキュメンタリー映画を紹介する形で二年ほど前にここのスタッフ・ノートに書いたことがあります。ご参照いただければ幸いです。