パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2006.09.06

日本政府のヨルダン渓谷開発援助計画のナゾ

Posted by :早尾貴紀

 任期を終えようとしている小泉首相が7月中旬、中東訪問を行なった。その「成果」が、外務省のサイトに公表されている( 小泉総理大臣の中東訪問 )。

 そのなかで具体的に提案し、相手方の賛同を得られたとしているのは、

「ヨルダン渓谷に域内協力で繁栄する地域を作る「平和と繁栄の回廊」構想を提案したところ、3首脳より賛同を得ることができた。今後早期に、日本・イスラエル・パレスチナ・ヨルダン4者の協議体を立ち上げ、本件構想を具体化していく。」

 そして、この「平和と繁栄の回廊」構想なるものの「基本的考え方」として、

「現在、イスラエル・パレスチナ間の和平に向けた取組は深刻な困難に直面しているが、二国家構想が唯一の解決策であり、現状への対応と同時に共存共栄に向けた中長期的な取組が重要。」

との立場を日本政府は取っており、そこから考案されたのが、この提案となる。

「上記の考え方に基づき、パレスチナ、イスラエル、ヨルダン、日本の4者からなる協議体を立ち上げ、日本のODAを戦略的・機動的に活用しつつ、域内協力の具体化に取り組む。日本は、最初の4者協議をホストする用意がある。」

 これを具体化するのが、「西岸においては、農産業が経済開発の主導的役割を果たし得る」ため、「ヨルダン渓谷西岸側に農産業団地を設置する」ということらしい。

 この計画は、多くの人が背景を知らずに読むと、日本政府が当該地域の「平和と繁栄」に貢献をするもので、好意的に受けとめられるのではないかと思われる。だが、実際のところは、下記に記すように、ひじょうに多くの難点・危険をはらんだものである。

一、この一帯の土地の条件について

 このヨルダン渓谷一帯は、イスラエル側の管轄となっているいわゆる「C地区」であるというだけでなく、イスラエルによる現在の隔離壁構想や「一方的撤退」構想の中で、「緩衝地帯」と称してこの先も永久にイスラエル管轄として保持し続けることが公言されている地域となっている。すなわち、事実上「併合」の方針が打ち出されているのがこの土地なのだ。
 そのイスラエルの一方的方針に対して、日本政府が介入できる余地など皆無である以上、この「平和と繁栄の回廊」構想は、基本的にはこうしたイスラエルの敷いた土台の上で動くしかないだろう。

 なお、実際にこの一帯は、現在、多くのユダヤ人入植地のプランテーションとなっている。 ジェリコあたりからヨルダン渓谷沿いの90号線を北上していくと、濃い緑色のプランテーションが左右にたくさん見える。アボガド、バナナ、タマル、レモンなどの作物を、灌漑設備によって水をふんだん に使って栽培をしている。もちろんその水資源は、西岸地区のパレスチナ人から収奪し、占有しているものだ。
 こうした地域を含む一帯は、もちろん農業に適している肥沃な土地であるからこそ、イスラエルは入植地として占領をしている。したがって、「経済援助」によって、農業振興に努めること自体は当然の選択肢と言えよう。だが、入植・占領政策に口出しをせずに、いかにパレスチナ人に資することができるのか?

二、まったくの無駄になる恐れ

 したがって、こうした構想を日本政府がぶち上げたはいいが、占領が終わらないかぎりは、最終的にはイスラエル政府が許可しないものは、日本政府には何もできはしない。しかも、このところの情勢では、欺瞞的な「一方的撤退」案すら、レバノン侵攻の「失敗」などのために、ほぼ消し飛んだと言っていい。
 ということは、日本政府のお金は、まったく無駄になるか、あるいは占領・併合の継続を前提としたうえで、イスラエルの利益に即すように使われる、ということになるのではないか。この確固とした占領下の現状で、イスラエルによる支配構造の枠組みに触れることなく、パレスチナの産業発展に寄与することは、この回廊構想ではそもそも不可能なのではないか。

 オスロ後にいったいどれだけの経済投資が海外からなされて、そして無惨にもイスラエル軍に破壊されたことかが思い起こされる。日本からのODA(政府開発援助)で作られた西岸・ガザのインフラも、度重なるイスラエル軍の侵攻によって破壊された。そして日本政府が、このことでイスラエル政府に文句を言ったことなど一度もない。つまり、「日本政府の出資で作ったパレスチナのインフラを破壊するとはけしからん。日本のカネを無駄にするな」とさえ言えないのだ。反対に、「イスラエルに自衛の権利はある」といった言明ばかりが聞こえてくる。
 しっかりした和平合意(オスロ合意的なインチキの「和平」ではなく)の枠組みなしに投資すれば、イスラエルが何かの拍子に機嫌を損なったという程度のことで、いつでも台無しにされるのだ。

三、構想の根本的矛盾

 では、イスラエルの機嫌を損ねないようにすればいいのか、という方向で思考することは、言うまでもなく、とんでもない本末転倒したことになってしまう。それはつまり、イスラエルのヨルダン渓谷支配を揺るがすことはできない、ということを意味するのだ。そうすれば、結局日本政府のやっていることは、やはり占領の固定化でしかない、ということになる。
 もしイスラエルがこの回廊構想に同意することがあるとすれば、イスラエルにとってこの地域の安定がもたらされると判断したときであろう。この「安定」とは、豊饒なヨルダン渓谷のユダヤ人入植地の農業活動に支障をきたさないとか、そういうことが優先され、それに反しない範囲で、ということが前提されている。

 この構想には、「4者協議」によって事業を進める、とある。すなわち、この地域へのイスラエルの関与を大前提としているのだ。だが、その一方で、パレスチナのハマス政権がそのようなものを認めるはずがないため(ハマスはイスラエルの占領地からの「完全撤退」という主張を曲げはしないいだろう)、つまり、いまのハマス政権を前提としては、このプランは完全に行き詰まるしかない、ということにもなる。
 逆に言えば、イスラエルとしては、何が何でもハマスには政権から降りてもらうか、でなければ無理やり武力で機能不全にさせておくしかない、ということになるし、またそれは、日本政府がこの回廊構想を進めるには、そうしたイスラエルの姿勢を支持せざるをえない、ということも意味する。
 つまり問題は、日本政府がこうした構造的な問題に対するスタンスを何ら明確にしないまま、口当たり(だけ)の良い開発援助をぶち挙げていることなのだ。つまり、イスラエルがこの地域に関与することを日本政府は前提しており、しかもパレスチナ人らがそれを受け入れることを前提している、ということなのだ。

四、開発援助の利権構造

 実のところ日本政府は、すでにJICAを窓口として、現地調査に入っている。とある、下請け「コンサル会社」が、JICAから受注をして、パレスチナ現地に入っている。延べで数十人が投入され、その下調査だけで数億円が投入された。だが、いくらその会社の情報を見たところで、パレスチナにおいて何らかの実績があるとか、詳しい専門スタッフがいるなどということはまったくない。果たして、こんな「素人集団」に丸投げをした現地調査で、今後につながる適切な情勢分析・判断などできるのだろうか、と疑問に思う。
 外務省→JICAと下ろされた仕事が、下請けならぬ孫請けコンサルに下ろされている。おそらく、ODA(政府開発援助)のカネの使い方としては、常道であろう。だが、あまりにひどい「素人集団への丸投げ」ではないか? これは、利権構造なのではないか? いくら「コンサル会社」がやっているとはいえ、莫大な税金が投じられているのだ。その下調査の成果は、納税者がアクセス可能なのか?

五、真に自立的な発展とは

 言うまでもないことだが、もっともパレスチナ経済の「発展に寄与」するのは、検問所をなくして経済活動を自由にさせることだ。占領地からユダヤ人入植地をなくして、水利権を取り戻すことなどももちろんだ。現在パレスチナの経済が弱いのは、イスラエル軍の基地や検問所やユダヤ人入植地などでパレスチナの土地がズタズタに分断されているからであり、必要なのは、そうした障害物の除去、つまりは「占領の終結」こそが正道なのは自明である。
 日本政府がこうした占領の問題についてわずかでも言及することなしに、今度の構想をぶち上げていることが、問題の本質を回避した「ガス抜き」にしかならない、ということを示している。

 日本政府はイスラエルに対して、「西岸・ガザからの全面撤退と、占領の終結、パレスチナ国家の承認と和平合意」を強く求めるという前提を抜きに、この構想を進めるべきではない。イスラエル国家のユダヤ性についてまで言及しなくてもいい、「ただ占領は認めない」、この一点だけは譲ってほしくない。