パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2006.10.29

変わりゆく検問所の風景

Posted by :早尾貴紀

 最初に、しばらくノートの更新ができなかったことをおわびします。公使ともに多忙を極め、手が回らないでいたという状況です。まだあと少しこんな状態がつづきます。ご了承ください。

 さて、先週からパレスチナに来ています。 パレスチナ・オリーブ の用件(生産者の訪問など)が中心ですが、その合間をぬって、西岸地区やガリラヤ地方にいる友人らも訪ねています。
 こちらの様子についていろいろ伝えるべきことが山積しています。が、まずは、今度の訪問で強く感じたことを記しておきます。

 第二次インティファーダのときから被占領地の要所要所にできたイスラエル軍による検問所。カランディアとベツレヘムにある検問所は、エルサレムを南北から挟む場所であるため、もっとも強化された検問所であり、いまでは鉄筋コンクリートの建物になり、荷物はエックス線による検査を受け、また兵士たちはガラス窓の向こう側にいてマイクで指示をするようになってます。まるで「国境」です。
 もちろんその周囲には壁が完成しつつあり、「抜け道」はこの近辺にはありません。
 これを見ていて、こういう状態にいたるまでの変化をいやおうなく思い出していました。90年代はまだ常設の「検問所」はなく、兵士がジープを止めて、往来する車やバス・タクシーを止めて、中を見渡し身分証を確認する程度でした。そして、エルサレムないしイスラエル側の訪問・滞在の許可がない人は、その検問所(兵士がチェックしているところ)の手前でバスやタクシーを降りて、運転手に検問所の少し先で待っているようにお願いをする。そういった人たちは、どこかを走って抜けてきて、また車に戻るというわけです。
 運転手も他の乗客も心得ていて、検問所のちょっと先で車を止めて待っていてくれます。よく息を切らした若者が待っていた車に飛び込んできました。しかし、それを「心得て」いたのは、実はイスラエル兵もそうでした。そういう抜け方をしているのは日常茶飯事なので、見て見ない振りをする。バスの中からも、検問所のちょっと後ろ側を、降りたパレスチナ人の乗客が駆け抜けているのが見えて、バスの中から悪友が囃し立てていたりもしました。「急げー!、先に行っちゃうぞー!」っていう感じで。

 それが次第に、コンクリート・ブロック(ロードブロック)が置かれるようになり、フェンスが立てられるようになり、仮設のトタン屋根がつけられるようになり、、、徐々に徐々に風景は変わっていきました。そしていまではとうとう「建物」ができて、回転式の鉄扉です。その鉄扉の周囲も金網で囲まれています。まるで監獄にでもいるような感覚に襲われます。そう、実際に監獄化が完成してきていると言っていいでしょう。
 カランディアとベツレヘム以外の主要な検問所も「本格的」になっています。とくに厳しいのは、いま僕がきているナブルスを囲む三つの検問所です。南のエルサレム側からのフワーラ。西側からのベイト・イーバ。東側からのベイト・フリーク。エックス線検査こそないものの、鉄格子に囲まれた回転式の扉を二回も通らせられます。ものすごいストレスを感じます。
 恒久化されていく建物は、占領を永続化させようというイスラエルの強い意志を表しています。そしてその変化の過程を思い出すと、徐々に徐々に締め付けられていくような気がするのです。それがものすごく「先行きのなさ」を感じさせます。

 もちろん、それでもそこで人びとは生活を続けている。変わりない生活があり、人びとは屈していない。ここに来るとそのこともまた知ることができるのですが、、、

(昨日、ベイト・フリークの検問所を通るときに、いっしょにいたパレスチナ人がイスラエル兵とひじょうに興味深いやり取りをしていました。通った後もそのことについて、彼といろいろ話をしました。今度はそれについて書きたいと思います。)