パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2006.11.03

分離壁とグリーンラインのあいだを歩いて

Posted by :早尾貴紀

 パレスチナに関心をもっている人のあいだではこれまでもずっと問題視されてきたことだが、イスラエルが建設中のいわゆる分離壁(隔離壁とも言う)は、グリーンラインと呼ばれる事実上国際的にイスラエル領を定める休戦ラインに沿って立てられているのではない。
 分離壁とは、改めて確認をすれば、イスラエル側が「自爆テロを防ぐため」という治安上の防御を理由に2002年頃から本格的に着工をし、4年以上を経た現在もなお半分程度しか完成をしていない、壮大な壁の構想のことである。そしてグリーンラインとは、1947〜49年(公式的には48年のイスラエル建国宣言〜49年)の第一次中東戦争の停戦ラインおよび、67年の第三次中東戦争によってさらにそこから変更が加えられた停戦ラインのことであり、パレスチナがまだ「国家」として認められていない以上は、「国境」ではない。が、イスラエルについてだけ言えば、国際的に国家として承認をされているわけであり、そのイスラエルの領土を定めているのがグリーンラインということになる。(イスラエルは実はそれ以上の領土的野心をあからさまにしており、それゆえに国境画定はしていないと主張している。)

 ともあれ、「自爆テロリスト」の侵入を防ぐということであれば、このグリーンラインに沿って、そしてイスラエルの勝手な都合で立てる以上は、そのラインのイスラエル側に立てるべきであろう。しかしながら、実際にはパレスチナのヨルダン川西岸地区の内部に建設しているばかりか、西岸地区の主要な入植地をイスラエル側に取り込むように、そして、とりわけ西岸地区北西部の豊饒な農地と帯水層をパレスチナの町から切り離しイスラエル側に取り込むように建設をしているため、パレスチナの内部がズタズタに寸断される形になっている。
 こうしたことは、パレスチナ情報センターの読者には周知のことかもしれないが、大手新聞・ニュースでは、いまなお「グリーンラインに沿ってイスラエルとパレスチナを分離する壁」などという表現がなされているので、あらゆる機会に繰り返し強調しておきたい。壁はイスラエルの領土的野心によるパレスチナの分断と収奪を目的に建設されているのだ、と。
(なお毎日新聞の表記について「パレスチナの平和を考える会」が執筆記者とやりとりをした記録がある。 毎日新聞の記事についての質問と担当記者からの回答

 さて、こうした形での分離壁の建設によって、グリーンラインによれば西岸の中(イスラエルの外)にいながら、分離壁によってイスラエル側に組み込まれてしまった村や集落がある。土地だけは欲しいけれどもパレスチナ人など一人も要らないと思っているイスラエルとしては、できるだけパレスチナ人を入れたくはないのだろうけれども、抑えがたい土地への野心は、パレスチナ人を「若干」取り込んでしまおうともかまわない、と結論した。すでに「(土地だけの)併合」を宣言した東エルサレムのように、そうしたパレスチナ人は「無国籍状態」にすればいいのだから、と。
 こうした形で西岸本体の生活基盤から切り離されてしまうパレスチナ人は、(東エルサレムの20万人を除いて)10万人にも達する可能性がある(分離壁が完成した場合)。彼らは、しかし、壁の要所にある検問所を通行することも著しく制限され、とはいえイスラエル側に入る権利もなく、壁のあいだに取り残されてしまっている。
 逆に、農地を壁のイスラエル側に取られてしまい、家と切り離されたケースでは、農作業のために自分の土地に近づくことが制限され、作業に支障をきたし、栽培・収穫が事実上不可能になっているところも少なくない。
(なお、壁建設をめぐるさまざまな問題点については、Hot Topicsにある 隔離壁完成まであと一年?――壁の近況と矛盾する現実 も参照。)

  *   *   *

 長くなってしまいましたが、以上が前置き的な概況でした。
 さて、今回、この「あいだにおかれた地域」を少しばかり歩く機会がありました。西岸地区の北側に接するウンム・ル・ファヘムという町に友人が住んでおり、そこに泊まりに行きました。ウンム・ル・ファヘムは、イスラエル・アラブの村としては最大規模で、村と言うには大きく、人口は4万人もあります。険しい丘陵地帯に貼り付くように広がるその町は、その近くにあったマジッドという村からの避難民が移住したこともあり(「難民」とは認定されない国内難民)、人口密度が高く、建物も込み合い、道路も狭くなっています。ちなみにマジッドはいまでは「メギッド」というヘブライ語の名前の町と変わってしまっています。
 このウンム・ル・ファヘムのなかに入り、いちばん奥、グリーンライン近くにまで行って、それに沿って進むと、明らかに西岸地区のパレスチナ人の車が置いてあるのに気がつきます。車のナンバープレートの色で一目瞭然なのです。イスラエルのナンバープレートは黄色地に黒の数字。パレスチナのは白地に緑。そのパレスチナの車が点々と見えます。
 案内をしてくれた友人曰く、「ここは西岸地区だ。いつのまにかイスラエル領から西岸地区に入っていたわけだ。イスラエルはこの先に壁をつくった。で、この車でどこへ行けと? こんな車でイスラエルのなかを走っていたら、すぐに警察に捕まる。そうかと言って、検問所を通って壁の向こうに行くにはいちいち許可が要るし、歩きでなく車ならなおさら面倒を起こす。この『あいだ』に置かれた地域でチョロチョロと乗るのがせいぜいだけど、ここにガソリンスタンドがあるか?」
 たしかにそうです。「じゃあどうしてるの?」
 友人、「さあ僕もよくは知らない。走っているのなんか見たことないし」

 もう少し先に行くと、オリーブ畑も含む農地。「ここも西岸の一部。でも農地の所有者は壁の向こうだ。これもどうやって収穫しているんだか、よく分からない。壁のこっち側の親戚とか友人に管理とか収穫を頼むこともあるらしいけど、その友人とかあるいは知らない人に盗られたりとかで、トラブルも少なくないらしい」。
 さらに先に行くと、バルタァというアラブ・パレスチナ人の村なのですが、ここでは村の真ん中にグリーンラインが走っていて、フェンスで区切られています。「ここは67年に、イスラエルにヨルダンが割譲するという形でグリーンラインの変更が行なわれたところ。どういう理由でかはわからないけれども、イスラエルが要求して、ヨルダンが譲ったんだろう。村の人からしたら、とんでもないことだけど。」
 もう少し進んで、また「イスラエル領」に戻ると、カツィールというユダヤ人だけの町が見えました。入植地でもないのに、開閉式の鉄のゲートがついています。「これは『入植地』だ。ここはイスラエル領だから入植地とは言わないけれども、誰もがカツィールを『入植地』と呼んでいる。パレスチナの土地を没収してつくったんだし、普通の町にゲートがあるか?」
 ちなみに、このカツィールについては、一昨年あたりにちょっとした議論が起きたことがありまして、あるイスラエル国籍のアラブ人の家族がカツィールに土地と家を購入して住もうとしたところ、カツィールの住民から強い反対が起きて、たしか裁判までいって、結局その家族の居住権は認められたなかったそうです。つまり、イスラエル国籍をもつ国民が、イスラエル領内の特定の町に住んではならない、というわけです。その理由は、「アラブ人だから」。ま、もちろん、治安上の保証がどうこうとか、当人らのためにとか、いろいろもっともらしい理由をつけたんでしょうけど。しかし、これをこそ人種差別と言うのではないでしょうか。

 ということで、グリーンラインと分離壁は、いずれもパレスチナの土地と人びとを分断してきたわけですが、この二重の分断のあいだやその前後は、本当に事情が複雑で、しかも歩いていても目に見えないグリーンラインを跨ぎ超えていたりするものだから、ちょっと歩いてみたくらいではなかなか実態や背景を把握するのが難しい。そんな地域でした。