パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2007.01.06

「超法規的暗殺」の「合法化」

Posted by :早尾貴紀

 この暗殺作戦、イスラエルは「Targeted Assassination=標的を絞った暗殺」と呼んでおり、無差別でないことを強調しているが、言うまでもなく、超法規的な殺害であることにはなんら変わりはない。どの世界にあっても、一方的に容疑をかけただけで逮捕・取り調べ・裁判といった基本的な法手続きを無視して、国家が人間を殺害することが制度的に許されるはずがない。これは誰もが知っている常識であり、法治国家の根本だ。
 もちろんイスラエルにおいても当然そうであるべきなのだが、しかし法治主義はなんら暗殺作戦に対する歯止めにはなってこなかったのが現実である。結果として、暗殺のたびに人権団体などによる提訴が相次ぎ、裁判所は大量の案件を抱え込むこととなった。

 こうした状況に対処するため、昨年から、暗殺作戦を「合法化」する道がイスラエルでは探られてきた。これは、昨年退任した前最高裁長官アハロン・バラクらが主導してきたもので、その論理たるや、「すべての暗殺作戦が国際法によって許容されているとは言えないのと同様に、すべての暗殺作戦が国際法によって禁止されているとも言えない」という、お粗末な屁理屈としか言いようのないものであった。だが、この基本姿勢は、現最高裁長官と司法長官にも引き継がれ、06年12月、暗殺を「合法」とみなすおよその指針が定められた。こうして、超法規的であったはずの暗殺作戦が、とうとう「合法化」されるという、尋常ならざる事態が発生した。
 もちろんイスラエルがここまで大胆かつアクロバティックなことをする以上、国際的にもっともらしい説明をしなければならない。暗殺が「合法」とされるのは、曰く、
・「暗殺の標的が確実かつ直接的にテロに関わっている場合」
・「そのテロリストを逮捕することが、不可能か著しく困難な場合」
・「周囲の民間人を巻き込んで死傷させない場合」
 そして、他にも以下のような条件が課されている。
・「かつてテロを働いた者も、すでにテロ活動をやめている場合は、暗殺は許可されないこと」
・「暗殺作戦後、標的が適切にその当の人物であったかを、独立機関が調査すること」
(以上、ハアレツ紙06年12月14日、15日などの記事による)

 現最高裁長官は、いわゆる国際法が、正規軍による戦闘行為を主眼にしており、テロ組織との戦闘については十分にフォローできていない、という見解をもっており、それゆえに、独自の国内法・国際法解釈による「指針」の制定によってその欠落を補わなくてはならない、という。

 だが、こうした指針は、イスラエル軍の暗殺作戦に対する「抑制」になるだろうか? おそらく、むしろ正反対に、暗殺の「許可証」を与えてしまうことになり、暗殺作戦の多用につながるのではないだろうか。上記のような諸条件では、結局のところ、これまでの暗殺作戦もすべからく「正当化可能」だからだ。
 本当にテロに関わっていた/いるかどうかを、取り調べと裁判なしに「確実に」知ることなどできはしない。そして「標的」を殺害した後では、「死人に口無し」だ。「標的」はもはや反論・弁明をする機会を奪われている。「確実にテロリストであった」と言い募ることは容易だ。「逮捕が困難であった」かどうかも、主観的な判断にすぎない。そして民間人の巻き込みについても、これまで何度も何度も軍の報道官はこう言ってきたではないか。「できるだけ避けようとしたが、やむをえなかった」と。
 どの条件を見ても、これまでの暗殺作戦への足枷になるものはない。むしろこれは、暗殺を正当化するための条件整備として機能するだろう。

 1月5日のハアレツ紙に、ヨッシ・サリードという、かつてメレツ(労働党よりも人権重視の中道政党)の党首をしたこともある人物が、「いまイスラエルは、軍法の支配する軍政国家になってしまったようだ」と書いている。直接的には、上記の暗殺合法化を受けてのことではない。例えば、オルメルト首相が打ち出した、西岸地区のロードブロックと検問所の一部を撤去するという方針が、軍の反対によってほぼ完全に撤回されてしまったことが挙げられている。パレスチナ人政治犯の釈放(場合によってはイスラエル兵捕虜との交換にもなりうる)もやはりイスラエル軍が反対して止まっている。もはや軍の言うことが何でも通り、軍が方針を決定しているかのようなのだ。
 こうした状況において、軍に「フリーハンド」を与えるかのような、今回の「暗殺合法化」。暗殺作戦が際限なく行なわれるようになるだろう。しかも法的に止めることができないということは、翻って、常識的・倫理的にも暗殺が異常である、超法規的である、という判断さえも麻痺させることになろう。イスラエル国家の武力依存体質は、とどまるところを知らない。