パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2007.01.15

リブニ外相来日と「回廊構想」

Posted by :岡田剛士

 イスラエルのリブニ外相が1月17日に来日すると報じられています。来日時には、昨年7月に小泉首相(当時)が提唱した「『平和と繁栄の回廊』構想」についても話し合われるようです。
 この「回廊構想」について、また日本政府の中東への関与に対して、僕たち自身の側から注視する必要があると思います。以下、参考のために、昨年11月に書いた文章を転載します。
(発行直後にもかかわらず、掲載誌『飛礫』からの転載をご快諾いただいた、つぶて書房に感謝します。)


〔出典:『飛礫』53号/2007年1月/つぶて書房〕

反占領・反派兵を提起し続けよう!
──日本政府による対パレスチナ「平和と繁栄の回廊」構想を批判する

岡田剛士(おかだ・つよし/派兵チェック編集委員会)

【1】

 今年(二〇〇六年)七月一二日から一三日にかけて、レバノンの政治・軍事組織ヒズブッラーがイスラエル軍の兵士二人を捕捉、その兵士の奪還を当初の名目としてイスラエル軍によるレバノン全域への三四日間にわたる苛烈な攻撃が開始された。臼杵陽によれば、今回の戦争は「第六次中東戦争」とアラブ世界のメディアで表現されているという【注1】。そして、ちょうどこの両日をはさんで中東歴訪(イスラエル、パレスチナおよびヨルダン)を行っていたのが首相・小泉だった。僕の手許の「東京新聞」(七月一五日付/夕刊)には、一四日にヨルダンのペトラ遺跡を訪れた際の小泉の写真が掲載されている。記事には「壮大な歴史ロマンに感銘を受けたのか〔中略〕終始上機嫌。中東歴訪を締めくくった」と書かれている。
 自らが訪れている最中の中東/東アラブ地域で、首脳会談を行った直後のイスラエルが具体的にメチャメチャな軍事殺戮を開始していたにもかかわらず、のうのうとペトラ遺跡で「歴史ロマンに感銘を受け」ていた小泉と、その訪問スケジュールをこなすことのみに腐心していた(のであろう)日本政府・外務省が中東和平に関わることなど、およそ冗談にすらならない──と思うのだけれども、しかし、この七月の小泉の中東歴訪では、日本政府からの新しい構想が提案されていたのだった。

【2】

 小泉は、七月一二日午前にイスラエル首相オルメルトと会談して、「『平和と繁栄の回廊』創設構想」(以下、回廊構想と表記する)を提示し、日本、イスラエル、パレスチナ、ヨルダンによる四者協議会の設置を提唱した。続いて一三日午前にヨルダン川西岸地区ラーマッラーで会談したアッバース大統領、さらに同日夜にヨルダン南部のアカバで会談した国王アブドゥッラーにも、同様の提案を行ったようだ【注2】。この回廊構想の文書は、外務省のホームページにも掲載されている【注3】
 まずもって、これは「ヨルダン渓谷西岸側に農産業団地を設置する」ために、日本が事業化調査を行い、資金面や技術面で支援を行い、物流の促進(農産業団地での産品の輸送への協力)も行う、という構想だ。
 そして、この回廊構想の文書の「基本的考え方」には、「(1)持続的な和平実現のためには、『平和の配当』を人々にもたらし、当事者間の『信頼醸成』を促進することが重要」と書かれている。
 「持続的な和平実現」、そして(この文書でいうところの「唯一の解決策」としての)「二国家構想の実現」のためには「持続的な経済開発」が必要であり、そのためのカギは民間セクターにあり、「西岸においては、農産業が経済開発の主導的役割を果たし得る」がゆえに回廊構想に意味がある、というロジックだ。より単純化すると、開発によって経済的な利益(=平和の配当)を手にすれば、紛争の相手に対する信頼も生まれ、持続的な和平(二つの国家)が実現するだろう、という図式だ。
 しかし、そもそも、こうした図式自体が批判されなければならないと考える。なぜならば、パレスチナ人たちにとっての歴史的かつ最大の問題とは、イスラエルによるパレスチナの占領だからだ。イスラエルの軍事占領ゆえに、その占領の苛烈にして巧妙な暴力と支配のゆえに、パレスチナ人たちは、地元産業の育成どころではない、人間らしい生活を送ることすら阻まれ続けてきた。
 ところが日本政府は、イスラエル国家の側に配慮してなのか、あるいは、その背後に存在するアメリカ合州国に遠慮してなのか、イスラエルの占領を批判しようとはしない。実際、この回廊構想の文書でも、また今後この構想の実行主体となってゆくであろうと思われるJICA(国際協力機構)のパレスチナ事務所長である成瀬猛の文章【注4】においても、イスラエルによるパレスチナの軍事占領という歴史的な現実に対して一言も触れていない(占領という言葉すら文中に出てこない)。
 それこそ、この成瀬の文章には、「ヨルダン渓谷内の多くの地域は未だに民生及び治安の両面においてイスラエルの管轄下(注)にあり、イスラエルは国家安全保障に関する戦略的な位置付けから、ヨルダン渓谷における潜在的資源を保持し続けたいものと思われます」というくだりがあり、その「注」においては、「一九九三年のオスロ合意以降に始まったパレスチナ・イスラエルの和平交渉によって定められた『C地域』で、民生と治安のいずれもイスラエルによって管理されている」(太字強調は引用者による)と書かれている。これは、イスラエル国家の側が占領地に対して英語表記で使っている「administered area」という用語そのまま、なのだ。

【3】

 さらに、この農産業団地の設置が構想されている「ヨルダン渓谷西岸側」も問題だ。次の図を見てほしい。これは、インターネット上の外務省のホームページにある地図【注5】だ。同時に、パソコンなどでインターネット接続とウェブ・ブラウザが使える環境があるならば、パレスチナ側であれイスラエル側であれ、暫定自治や分離壁についての地図が掲載されているホームページを、ぜひ併せて見ていただきたい【注6】
 ここで直ちに分かることは、この回廊構想にいう「ヨルダン渓谷西岸側」が、ヨルダン川という小さな川を挟んでヨルダン王国と接している地域であるがゆえに、イスラエルにとっては、その国家安全保障の観点から極めて重要であり、そのため一九九三年九月以降の、いわゆるオスロ和平(パレスチナ暫定自治)プロセスの時期においてすら(ジェリコという小さな町以外は)ずっとイスラエルの完全な軍事占領下に置かれ続けた場所だ、ということだ。現在も建設が続いている分離壁は、ヨルダン川西岸地区の西側にも、この「ヨルダン渓谷西岸側」一帯をイスラエルの占領下に残すような形で建設されることが推測されているし、現状では(夏の対レバノン戦争での「敗北」ゆえに)頓挫しているイスラエル首相オルメルトの「西岸地区からの一方的撤退=境界線確定」構想においても、この地域はイスラエル側に併合されるだろうということが公然と語られていたという【注7】
 こうした場所に、しかも占領という最大の問題が存在することに言及すらしないまま、パレスチナ人のための「平和の配当」を生み出すための農産業団地を設置するなどという構想は、占領の継続への側面支援(イスラエル国家も参加する協議会を設置し、日本政府が資金も出すという計画だ)となるのと同時に、その占領下でパレスチナ人労働者を搾取する新たな構造を創り出すことになりはしないだろうか。
 農産業団地の産品は「輸送」されることが前提となっていることにも注意すべきだ(具体的には、ヨルダン経由での湾岸諸国などへの輸出が想定されているようだ)。百歩譲って「輸出=現金収入」という流れを考えることは可能であるとしても、それは逆に言えば、この農産業団地の生産品はパレスチナ人たちの地元での消費には回らない、ということだ。ならば、この農産業団地での仕事に従事することができたパレスチナ人たちが「平和の配当」としての現金収入を得たと仮定して、では何を買えばいいのだろうか? 答は簡単で、つまりはイスラエル製品、ということにならざるを得ないだろう。
 イスラエルが、パレスチナ人たちをイスラエル国内での安価な労働力とし、同時にパレスチナ人たちにイスラエル製品を買わせるという経済的な従属構造は、イスラエルによる占領の下で歴史的に貫徹されてきた。もちろん、こうした構造自体が問題とされるべきだが、さらにこの回廊構想が、イスラエル側の同意も得ながら農産業団地を「ヨルダン渓谷西岸側」に実現してゆくとしたら、それは、占領者たちに対して、その占領地の内側において経済的な利益をもたらす仕組みを──しかも「和平」の名の下に──創り出すことになりかねないのではないか。ならばそれは、もはや「占領ビジネス」と呼ぶしかないだろう。

【4】

 さらに、この回廊構想の「基本的な考え方」の(2)には、「(和平のためには)現状への対応と同時に共存共栄に向けた中長期的な取組が重要」と書かれている。
 ここでいう「現状への対応」というのは、例えば一九九三年のいわゆるオスロ合意以降これまでに日本政府が(国連などを経由して)行ってきたインフラ整備や医療支援などのことだろう。ならば、それと対置する形で述べられている「共存共栄に向けた中長期的な取組」が、この回廊構想という位置付けになると考える。
 その意味では、この回廊構想において日本政府の対パレスチナ「支援」は、「現状への対応」を更に推進するということではなくて、新たに一歩踏み込んでレベル・アップした関与を構想・提案した、ということになる。
 先日、この回廊構想について、ある小さな会議で説明した際に、参加者の中から次のような二つの意見が出された。それらは、
 (一)この回廊構想に関する事業化調査などがODAの枠組みで行われるのであれば、それは今後の政府の『ODA白書』などにも出てくるだろうから、ある程度の内容を調べることが可能なのではないか、
 (二)「農産業団地の産品の輸送に必要な協力」が回廊構想の「具体的な案件例」に挙げられているが、これは自衛隊のゴラン高原UNDOF(国連兵力引き離し監視軍)での「後方支援」としての物資輸送の経験を活かすということも、もしかしたら想定されているのではないか、
といった意見だった。
 僕は、なるほどなと思った。まずもって(一)については、日本政府が具体的に何を行おうとしているのかについて、今後の僕たち自身の側からの努力としても、可能な限り調べて明らかにしていくことは重要だ。
 また(二)についても、一九九六年から既に十年も継続している自衛隊のゴラン高原派兵は、その派兵人数が延べで一千人近くになる。この派兵が、自衛隊にとって、また日本国家にとって、様々な意味での経験となっていることは確かだろう。そうした具体的な経験が、今後のさらなる自衛隊の派兵や、日本の戦略的な対外「援助」に活かされるということも十分にあり得ることだと考えておく必要があるだろう。

【5】

 これは直接的にはパレスチナ問題から離れるけれども、自衛隊ゴラン派兵の第一次隊(一九九六年一月下旬からの半年間の派兵)の隊長だった佐藤正久が、二〇〇四年一月からの自衛隊のイラク派兵の先遣隊の隊長だった【注8】という事実も、改めて押さえておきたい。ある意味では、イラク派兵の「切り込み隊長」を、ゴラン派兵の経験が育てたのだ。
 一例として今年一月二八日の「産経新聞」は、「ゴラン高原での活動は自衛官が国際貢献の経験を積むための『実習学校』(防衛庁関係者)ともなっている。陸自幹部は『UNDOFで中東の風土や地元の人に触れたことで、イラクで円滑に活動を開始できた』と語る。イラク復興業務支援隊の第一次隊長を務めた佐藤正久一佐、第三次隊長だった岩村公史一佐もUNDOFの『卒業生』だ」【注9】というふうに、自衛隊の側での評価を伝えている。
 僕たちは、自衛隊のゴラン派兵に対しては、それが「中東和平を下支え」しているなどという日本政府の欺瞞的な言い方に対して、一九七三年の第四次中東戦争の結果に対する国連安保理決議三三八号に基づいて設立・派兵されたUNDOFは、シリアとイスラエルの停戦合意(兵力引き離し)を監視するだけの任務を与えられた軍事組織であるがゆえに、それが存在し続けることは両国の停戦の継続を意味するのであり、結局のところイスラエルによる軍事占領と一方的な併合を事実上追認しているに過ぎない──そのように批判し続けてきた。つまり日本政府による「UNDOF中東和平下支え論」なるものは、この軍事占領支配の継続を押し隠す煙幕でしかない。
 すでに九月一三日付の「共同通信」では、政府がUNIFIL(国連レバノン暫定軍)に「参加して後方支援を行うため、陸上自衛隊を派遣する検討に入った」と報じられている。この記事によれば、「政府は『停戦合意の成立』などPKO参加五原則が満たされ、PKO協力法に基づく自衛隊派遣が可能な状況になったとしている」というが、そんな問題では、ない。この夏のレバノン戦争(=「第六次中東戦争」)の直後から、すでに更なる中東戦争──しかも破滅的な戦争──が起こり得る可能性すら指摘されている【注10】のであって、「停戦合意が成立したから良かった、ここから次のステップ・アップを考えよう」では、決して済まされないのだ。
 日本政府がイスラエルによる戦争と占領を批判しない(できない)ことと、その一方での相当にアヤシイ中東和平「支援」構想や非常に御都合主義的・なし崩し的な自衛隊の海外派兵拡大の目論みとが、コインの両面のように存在しているのではないか。
 ならばこそ、イスラエル国家それ自体と、その軍事占領こそが、まず何よりも問題なのだという、ある意味では非常に当たり前の批判を、反戦・反派兵運動に具体的に関わる立場の側から、何度も何度も継続的に提起し続けていくことには大きな意味があるだろう、と僕は思う。


 以下、これは完全に個人的な蛇足なのだけれども、せっかくの機会なので書いておきたい。
 僕は、このJICA(国際協力機構)パレスチナ事務所長の成瀬猛なる人物を知っている。一九八一年夏からの二年間を、僕はシリアでの青年海外協力隊(JOCV)の隊員として過ごしたわけだが、その派遣前訓練のときに、JOCVの職員として訓練生たちの世話役のような仕事をしていたのが彼だった。その意味では「お世話になった」のだが、しかし約四半世紀という、それなりに長い時間の後で、こういう「構想」に関わりを持つ人物として彼の名前を見ることになるとは思いもよらなかった。
 そんなわけで多少複雑な思いもあるし、彼我の立場の違いは如何ともしがたいのかもしれないが、批判は批判としてきっちりと提出されるべきだと思っている。
(二〇〇六年一一月一四日 記)


【注】

  1. 臼杵陽「誰がイスラーム主義組織を育てたか」季刊アラブ(一一八号)日本アラブ協会、二〇〇六年。
  2. 日本語の新聞などの報道によれば、小泉は、アッバース大統領に対しては、総額約三〇〇〇万ドルの追加支援を行うことも表明したという。このうち二五〇〇万ドルは、国連機関を通じたガザ地区での水道整備や医療態勢の整備など民生の向上を目的とした人道支援。ほかに、世界銀行が行う紅海と死海をつなぐ運河の建設調査に二〇〇万ドルを拠出するという。また小泉は、アッバース大統領との共同記者会見で、「和平を破壊する勢力と戦っているアッバス氏を支援していきたい」と表明したという。こうした「支援表明」自体が、ハマース(イスラーム抵抗運動)の政府に対してではなく、ファタハ(パレスチナ解放運動)のアッバースへの支援表明という意味で、極めて政治的な意味合いをもつということは付記しておきたい。
  3. 外務省:イスラエルとパレスチナの共存共栄に向けた日本の中長期的な取組:「平和と繁栄の回廊」創設構想
  4. JICA:小泉首相のイスラエル、パレスチナ、ヨルダン訪問
  5. 注3を参照のこと。
  6. 例えば、パレスチナ人たちの分離壁反対キャンペーンのホームページにある地図:
    stopthewall.org: The Wall in the West Bank(PDFファイル:約6.2MB
    あるいは、イスラエルの人権運動団体「B'TSELEM」のホームページにある分離壁に関する地図:
    Btselem: The Separation Barrier In the West Bank( PDFファイル:約1.7MB
    などを見てほしい。
    〔追記:ヨルダン渓谷地域の地図は、地図で見る「平和と繁栄の回廊」構想 でも見ることができる〕
  7. 二〇〇四年二月下旬に本隊(第一次イラク復興支援群)が到着して以降は、イラク復興業務支援隊の隊長として同年八月までイラク現地での任務にあたったようだ。佐藤正久は、自衛隊によるイラク「復興支援」の「顔」として、「ヒゲの隊長さん」などという押し出しで日本のマスメディアにも登場していた。もちろん、こうした自衛隊エリート隊員のメディアへの押し出しのスタイルもまた問題とされるべきだと考える。
  8. 引用は「Yahoo! Japan」のニュース・サイトに掲載されていた記事(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060128-00000007-san-pol)からだが、すでにリンクが切れている。記事のタイム・スタンプは「一月二八日二時五二分更新」となっているので、現実の紙面としては、この日の朝刊あるいは夕刊に掲載されたのではないかと思う。
  9. マスウード・ダーヒル「私たちは今、破滅的な中東戦争か和平かの岐路に立っています」月刊オルタ(二〇〇六年一〇月号)。

関連ページ:特集:「平和と繁栄の回廊」構想