パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2007.03.16

イラン・パペ氏の日本講演を終えて(追加:記事紹介)

Posted by :早尾貴紀

 東京大学UTCPの招聘で来日したイラン・パペ氏(ハイファ大学・歴史学)は、短い滞在中に三つの講演会・研究会と、二つのインタヴューと、いくつかの小さな会合をこなして、帰国しました。たまたま僕は、最初のコンタクトから始まり、滞在中の日程調整とアテンドを任じられたために、上記の講演・インタヴューなどすべてをつぶさに聞くことができ、仕事としてはハードであったものの、ひじょうに幸運な経験をしました。
 何よりも驚いたことは、彼が的確に聴衆の層を把握し、その場に応じて自在に話の性質、話し方を変えてきたことでした。三回の講演は、 ミーダーン も共催となった市民集会、イスラーム地域研究グループも共催となった中東研究者たちを中心とした研究会、そして東大UTCPでの哲学思想研究者を中心とした研究会でなされました。

 ミーダーンでは120人もの参加を得て、通訳を交えて講演・質疑がなされましたが、パペ氏は市民に向けて、なぜ占領を問うだけでは不十分で、「1948年イスラエル建国」を問題視しなければならないのかを、時系列的な説明から入り丁寧に問題の本質を解きほぐしつつ、いかにパレスチナ/イスラエルの現状とそして世界のパレスチナ問題の認識が錯綜し、そこから遠い地点に来てしまっているかを分析してくれました。
 イスラーム地域研究グループでは、臼杵陽氏や藤田進氏など中東・パレスチナ研究者だけでなく、広河隆一氏や土井敏邦氏といったパレスチナで長年取材をしてきたジャーナリストらや、パレスチナに関わるNGO関係者も聴きに集まり、パレスチナ関係者総結集の様相を呈していました。話としても、市民集会でなされたような歴史的事実確認の段を端折って、どうして「1948年」を「ナクバ(破局)」ではなく「エスニック・クレンジング(民族浄化)」と定義しなければならないのかといった議論を中心に、いくつかの本質的な問題を深めていくような議論の運びでした。
 東大UTCPでは(UTCP=共生のための国際哲学交流センター)、哲学思想系の研究者らが集まっていたということもあって、紛争や対立する歴史を語る言説行為そのものを焦点化し、さまざまな戦争をめぐる歴史認識論争と対比しつつ、パレスチナ/イスラエルについて語る言説そのものの困難と、それでもなおそれを見いだす必要性について、抽象度の高い議論を展開しました。

 また講演とは別に二回のインタヴューがなされており、近くそれが出されることで、少なからず、パペ氏の仕事の核心が読めるようになると思います。(【追記2】雑誌『インパクション』によるインタヴューが、7月発売の158号に掲載されました。「イスラエルのなかで歴史に向き合うこと」(108-123頁)。彼の背景や問題意識が広くカバーされています。また、共同通信によるインタヴューは、人物紹介の形にまとめられ、全国の地方紙に配信され、およそ5月18日〜22日のあいだに掲載されました。各地方紙15紙くらいには掲載されたようですが、イスラエルのユダヤ人にもこういう人物がいるということが紹介されるのは、重要なことだと思われます。

 その他のミーティングでは、彼の主著の一つ、A History of Modern Palestine(この原著の増補版が出たばかり)の日本語訳が計画されており、その出版社と翻訳者(臼杵氏)が著者であるパペ氏と三者でミーティングをもちました。こちらも日本語で読めるようになるのが楽しみになってきました。著者・訳者・編者の会合が、翻訳刊行に向けて大きな励みになったものと思われます。
 そして、上記三つの講演、二つのインタヴューも含めて、すべての質疑・討議が的確で有意義なものであったと、パペ氏もやりがいがあったと言っていました。「アメリカ合州国での講演だとありがちなんだけれども、1時間も話した挙げ句に、出てきた質問が、『ではあなたは、ユダヤ人の2000年の離散と帰還という奇蹟を信じないのですか?』だったりする(苦笑)。今回の東京での講演では、みんなきちんと正面から講演を受け止め、質問をぶつけてきた。もちろん、それでもアメリカに行くのは、そういうバカげた質問に答えるのも自分の仕事だと考えるからだけれども、それはとても消耗することだ。今回はそうならなくてホッとしている。」

 パペ氏の来日は、ほとんど偶然のタイミングで実現しました。昨年彼は体調を崩しており、海外講演をしておらず、また現在も必ずしも本調子ではなく、主治医からは少し休むように言われており、今後もとくに時差の大きなアメリカや東アジア地域への出張は断らざるをえないそうです。パレスチナ/イスラエルと比較的時差の小さいヨーロッパは、移動時間も短く、体への負担も小さいのだそうですが、日本へなら乗り継ぎも入れて丸一日の移動。本当に無理をして引き受けてくださいました。パペ氏にはあらためて感謝するとともに、もう当面は来られないだろうと思うと、ひじょうに貴重な機会であったことを感じます。

 さてパペ氏は、講演を聴いた私たちに、大きな宿題も残していきました。彼は面白おかしい話を聞かせるためにはるばる来たわけではないのですから。イスラエルを変えるために、世界はどうすべきなのか。そして、日本はと言えば、まさにいま、欧米流の「調停者」面したひじょうに怪しげな仕方でこの地域への介入を進めています( 「平和と繁栄の回廊」構想 )。講演の一つとインタヴューで、日本の関わり方について、彼は警告を発していました。「欧米流の調停や和平合意はすべて破綻した。日本のそうした介入も税金の無駄遣いにしかならない。そして失敗の挙げ句に、イスラエル寄りだとしてアラブ諸国から反発を食らうだろう」。何よりも必要なことは、「1948年」が、シオニズムが、犯罪・誤りであったことを世界が認めて、レイシズムを続けるイスラエルに世界が圧力をかけることだ、と。それをしないでイスラエルと関係強化をするのは、犯罪に荷担するに等しい、と。パペ氏は方々でそのことを強調していました。