パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2007.05.30

『約束の旅路』に感動する前に――ホンモノのユダヤ人とニセモノのユダヤ人の区別?

Posted by :早尾貴紀

 今年3月からロードショーの始まった 『約束の旅路』 (ラデュ・ミヘイレアニュ監督)という映画があります。文部科学省の「特選作品」として感動の嵐を呼び起こしたためか、いまでは全国ロードショーを展開中です。これに合わせて原作小説も日本語に訳されました(ラデュ・ミヘイレアニュ、アラン・デュグラン著、小梁吉章訳、集英社文庫、2007年)。

 ストーリーは、、、:政治・経済的混乱状態にあるエチオピアから人びとが脱出するに際して、キリスト教国家であるエチオピアのマイノリティたる「ユダヤ教徒」だけは、ユダヤ人国家イスラエルの帰還法に基づく「帰還の権利」によって、脱出が比較的容易であった。時代背景は最初の大規模な移送作戦「モーセ作戦」が行なわれていた1984年。当時幼かった主人公の母親は、キリスト教徒でありながらも、自分の子どもをイスラエルへと脱出させるために、あるユダヤ教徒の母親の子どもになりすまさせる。ユダヤ教徒ではないという出自を心の内に秘めたまま、イスラエル社会に受け入れられていく主人公の成長と葛藤、、、
 映画を紹介することも、映画そのものを分析することも、ここでの目的ではないので、これ以上は書きません。

 そもそも、『約束の旅路』という作品が前提としているのは、「エチオピアには古代からのユダヤ教を遵守しているコミュニティがある」という事実認識です。東欧で発展してきたユダヤ教や地中海・アラブ世界で発展してきたユダヤ教とは異なり(前者に属するユダヤ人をアシュケナジーム、後者に属するユダヤ人をスファラディ―ムと一般に言います)、紀元後に成立したタルムードを受容せずに、トーラー(モーセ五書:旧約聖書の一部をなす)のみを聖典とする古代ユダヤ教が、エチオピアの一部の地域には存続してきた、と言われています。
 こうした「旧約の民」たちが、果たして「ユダヤ教徒」なのか、つまりは帰還権を有する「ユダヤ人」なのかについては、イスラエルの中のラビや政治家らのあいだで長い議論があり、1970年代になってようやく帰還法の適用が承認されました。時代背景には、ヨーロッパからのユダヤ人移民の波がイスラエル建国後すぐに収束し、地中海・アラブ地域からの移民が50年代と60年代で収束してしまった、ということがあります。つまり、パレスチナ人との人口比競争において優位を保つためには、イスラエル国家は恒常的にユダヤ人移民を入れ続けなければならないという政治的要請があるにもかかわらず、70年代以降はヨーロッパと地中海地域からだけでは「弾切れ」になってしまった、というわけです。

 詳しくは、最近刊行された拙論「「偽日本人」と「偽ユダヤ人」、そして「本来的国民」」( 『現代思想』6月号 )に書いたことなので、以下ではそのエッセンスだけを書きます。

 エチオピアには、3000年前に遡る「建国神話」がありますが、その核心部分が古代イスラエル王国に関わっています。核心の一つは「シバの女王」伝説で、紀元前1000年頃のアラビア半島にいたとされるシバの女王(実在さえ不確か)は、エチオピアの神話では「古代エチオピア人」だと信じられています。シバの女王は、イスラエル王国のソロモン王と交流があったと言われていますが、エチオピア建国神話における祖メネリク一世は、実はエチオピア人であるシバの女王とソロモン王が「一夜の契り」を交わしたことで生まれた子どもであるとされています。
 神話のもう一つの核心は、「失われたアーク(聖櫃)」伝説です。モーセが神ヤハウェから授かった「十戒」の刻まれた石版を収めるために神に命じられてモーセが作ったのが、「アーク(聖櫃)」と呼ばれるものですが、この石版入りのアークは、旧約聖書の中から突然に言及がなくなり、行方知れずです。エチオピアではこれが、父ソロモン王に会いに行ったメネリク一世によって密かにエチオピアに持ち込まれたと信じられています。
 「ソロモン王の血筋」と「アークの守護者」という神話によって、エチオピアが正統なユダヤ民族であるということになり、エチオピアには古代ユダヤ教文化が栄えていた、という話になります。(なおエチオピアでは、4世紀のアクムス王朝が公式にキリスト教を受け入れたことで、キリスト教国家となりますが、独自の発展を遂げたため「エチオピア正教」と言われています。)

 ところが、エチオピア史や宗教史の専門家は、こう指摘します。

・自分たちはヘブライ人の子孫であるという主張が、キリスト教世界のあちこちで様々な形で熱心に叫ばれたことは、エチオピア正教のもつ旧約聖書的性質はエチオピアにユダヤ教徒が存在したからだ、と主張する前に十分に注意しなければならないことを意味する。
・新約聖書を信奉する社会で旧約聖書に強い関心が向けられるのは、極端な危機に直面したときである。
・古代イスラエルとその遺産についての強い関心は、ユダヤ人である人びとの活動に基づいたものではなく、キリスト教徒が旧約聖書を熱心に読んだ結果生まれたものであった。
(『失われた聖櫃――アーク伝説のなぞを解く』(ロデリック・グリエルソン&スチュアート・ムンロ=ハイ著、五十嵐洋子訳、ニュートンプレス、2000年)より。)

 ここで言われているのは、エチオピアで語られているアーク伝説が、旧約聖書よりも後世の新約聖書の、つまりキリスト教の言葉や象徴で表現されているということです。14世紀以降に編纂された書物などにおいて、アーク伝説のさまざまな変奏が読まれますが、そのなかでももっとも重要な役割を果たしているのが、エチオピアの建国神話の根幹をなす長編叙事詩『ケブラ・ナガスト(王たちの栄光)』であり、これも14世紀に編纂されたものです。先述のソロモン王の血筋やアーク伝説もまたそこに詳細に描かれています。すなわち、中世から近世にかけて、社会変動期などに、原点に立ち返ろうとする復興運動によって旧約聖書が熱心に読み込まれるようになり、古代イスラエルに自らを直結させるような自己投影が行なわれ、「紀元前から古代ユダヤ文化があった」という認識が、遡及的な効果によって創造された、というわけです。
 また、こうした原点回帰と自己投影、それに基づく激しい思い込みによる「古代ユダヤ人の系譜」への同一化などはすべてむしろ「キリスト教的」であり、エチオピアに限らずありとあらゆるキリスト教世界において普遍的に見られる現象であるとも指摘されています。そういうパースペクティヴから見たときに、エチオピアの事例だけに特権的に真実性を認めることは不合理だし、実証的根拠もない、ということになります。あくまで「古代ユダヤ教伝説」は、遡及的な効果による神話化なのだ、と。イスラエルのヘブライ大学の研究者でさえも、エチオピアの「ユダヤ教」は14世紀以前に遡ることはできない、と指摘しています(スティーヴン・カプラン『ベータ・イスラエル(ファラーシャ)』日本語訳なし)。
 そして、さらにそこに、シオニズム以降の移民政策に強く動機づけられた「神 話の政治的利用」が生じた、ということなのでしょう。

 『約束の旅路』を観て感動する前に、こうした生々しい歴史解釈の政治性について考えなくてはならない、と思います。観衆にとって感動的なストーリーであることはたしかにそうでしょう。実際、感動を誘うようにと周到にストーリーが組まれているわけですから。しかしながら、「なりすまし」の「ニセモノ」のユダヤ人がイスラエル国家に受け入れられるというストーリーは、「エチオピアにはホンモノのユダヤ人がいる」ということと、イスラエルは懐が深く寛容な国家であるということ、この二点を前提にしています。その意味において、この映画はシオニズムのプロパガンダ映画であるとさえ言えると思います。感動的なヒューマンドラマという触れ込みになっているだけに、その背景にある政治性にはかえって慎重にならなくてはなりません。

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