パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2007.11.03

パペ氏不在のハイファにて

Posted by :早尾貴紀

 10月下旬より、イスラエルのハイファ大学に来ています。とりあえず客員研究員の身分をもらっています。
 ハイファ大学に来た直接の理由は、ハイファ大学の研究者をひとり、日本に招聘して、大学関係で数回のワークショップに参加してもらうにあたって、その打ち合わせをするため、ということになります。その他、自分のお勉強はヘブライ大学その他でもしますし、その他の活動は、西岸地区やガリラヤ地方など、各地でします。

 さて、そのハイファ大学と言えば、イラン・パペ氏のいた大学です。もちろん今回来るにあたっても連絡はとっているのですが、ちょうど入れ違いになるように、パペさんは家族でイギリスに移住してしまいました。職場もイギリスのエクセター大学へ。
 パペさんは、「君が東京で示してくれた歓待を、今度はハイファでお返ししたかったけれども、とっても残念なことに(笑)、私はもうイギリスにいます」とのこと。
 つまり、パペさんの講演を録音で聞きながら、ほんの少し前までパペさんが住んでいたハイファで、作業をしているわけです。「不在者の声」は、その貴重さをかえって強く思い起こさせます。もちろん、僕自身が、虚しさを感じてもいるのですが、それよりも、イスラエル社会とってこそ、パペさんを「失ってしまった」ことが、重大な損失なのではないかと思えるのです。

 かつての同僚たちにあたるハイファ大の研究者たち、とりわけアラブ・パレスチナ人の研究者たちのうちのひとりが、パペさんの移住についてこういうことを言っていたのが印象的です。

「イラン(パペ)はだいぶ嫌がらせを受けていたからね。気持ちはわかるよ。自分だってチャンスがあれば出たいくらいだ。彼が、結局ここではシニア・レクチャラー(上級講師)にしかなれなかったのも、嫌がらせのひとつ。あれだけの業績があるのに、ヘブライ語で出せないんだから。出るのは良いことだよ。でも、必ず彼は帰ってくる。なんてったって、彼はこの場所がなんだかんだ言っても好きなんだ。そしてこの地で闘うことにこそ自分の存在意義を見いだしている。」

 3月に東京で僕と話をしていたときにも、1〜2年で戻るつもりはない、5年後か6年後か、というようなことを言っていました。批判的な内部の声を発し続けることは、とてもたいへんなことだと思いますし、同時にしかしもっとも必要なことでもあります。

 さて、日本講演の翻訳作業は大詰めです。3月当時を思い出しながらのこの作業を通して、薄れていた記憶が蘇ると同時に、いま共同で進めている綿密な翻訳作業によって、そのときに表面的にしか理解していなかったパペさんの言葉の重みひとつひとつを感じています。
 三つの講演の広がりと繋がり、そして丁寧な質疑応答。それを、一切の原稿やメモもなしに、聴衆層やその反応を見ながらやってのけたことについては、やや大げさに言えば、聞き直し読み直して、感動さえ覚えました。早く書籍の形で刊行して、広く共有できるように、頑張りたいと思います。パペさんの去った後のハイファで、彼の不在を噛み締めながら。

【追記】
 とうとう刊行することができました。詳細は、以下。