パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2007.11.08

またもあの検問所にて──兵士の言葉

Posted by :早尾貴紀

 先日、ナブルスに行き、そこから隣村ベイト・フリークにある石けん工場に行きました。

 ナブルスは山に囲まれた地形になっているため、いくつかの検問所を設置するだけで、一都市全体を「封鎖」できてしまいます。そして、この丸5年以上、実際にナブルスは封鎖下に置かれているのです。
 そのナブルスの表の玄関口がフワラ検問所と言われるところで、エルサレム、ラマッラー方面から北に向かっていくとここに辿りつきます。裏の玄関口がベイト・イーバー検問所で、とくにトルカレム、ジェニン方面から出入りする人たちが使います。いずれも大きな検問所で、通勤・通学の時間帯はものすごく込み合います。
 ナブルスは西岸で最大の都市であり、そこにはたくさんの工場や学校があるため、ナブルス市外から通ってくる人はたくさんいます。そして、この二ヶ所の検問所で、ナブルスに出入りをする人の大半がコントロールされています。

 しかし、いま僕が書いておきたいのは、フワラやベイト・イーバーの検問所のことではありません。ナブルスから東へ向かうと、バラータ難民キャンプを抜けた向こう側に、ベイト・フリークという小さな村があります。ナブルスと隣接しているため、大きな工場がナブルス市内から移転してきています。しかし、労働者がそこへ行くには、ベイト・フリークの検問所を通らなければなりません。
 なぜそんな小さな村とのあいだに検問所があるのか。それは、その周囲に、「イタマール」と「エロン・モレー」という二つのユダヤ人入植地があるためです。その入植地用道路が交差するところに、検問所が設置されているわけです。
 この二つの入植地の入植者は暴力的なことでたいへんに悪名高く、近隣のパレスチナ人の村のオリーブの畑に火をつけたり伐採したりと、横暴なことを繰り返しています。

 ともあれ、その入植者の安全のために検問所が設置され、地元のパレスチナ人の移動が制限されているというわけです。しかも、ベイト・フリークは、フワラとは異なり、通過人数がずっと少なく、また外国人が通ることもなく、イスラエルや海外のNGO団体も通りません。
 僕の感覚では、ここの検問所の兵士は、あるいはここに配置されたときの兵士は、フワラの兵士とは、あるいはフワラにいるときとは、だいぶ態度が違うように思います。

 今回はこんな体験をしました。僕は、石けん工場の主人といっしょに通過しました。対応した兵士は、もちろん20歳そこそこの若者です。
 兵士:「何をしに行く?」
 工場主:「この日本人は私の顧客で、これから工場に案内する」
 兵士:「お前は黙ってろ、離れろ。おい(僕に向かって)、ここはトーキョーじゃない、わかるか。あいつらには、どんな感情も人間性もない。お前はそんなパレスチナ人と仕事の話をするのか?」
 僕:「実際に石けんを仕入れている」
 兵士:(ニヤニヤしながら首をかしげ僕の顔を見て)「お前は頭がおかしい。クレイジーだ。いいか、ベイト・フリークでは何が起こるかわからないぞ。あいつら(パレスチナ人)に襲われても、それは全部お前の責任だ。行け!」

 実際にベイト・フリークは小さな静かな村で、イスラエル兵が襲撃でもしてこなければ何も起こりはしません。その日も、石けん工場のとなりのオリーブ畑では、ベイト・フリークの村長さん一家が、もちろん村長さん自らもいっしょに、オリーブ収穫をしていました。小さな子どもも、おばあさんも、おじいさんもいっしょに。静かな光景でした。