パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2008.05.30

ナクバ60年に「失郷民(シリャンミン)」を想起する

Posted by :早尾貴紀

 5月は、パレスチナの大災厄(ナクバ)=イスラエル建国から60年。その前後に大量のパレスチナ難民が発生しました。パレスチナ人は、ユダヤ人の軍隊によって故郷の村を破壊されたり、そこから追放されたことで、イスラエル国内、ガザ地区、西岸地区、ヨルダン、シリア、レバノン、エジプトへと離散し難民となり、さらにのちには生活のために湾岸諸国や欧米諸国にまで移住をした人たちも少なくありません。
 イスラエルの建国は1948年ですが、村の破壊による集団的な難民の発生は、実質的には47年から。停戦は49年ですが、パレスチナ人の政策的・軍事的な追放はその後も継続されていきました。

 1948年といえば、朝鮮半島が南北に分断された年でもあります。パレスチナの分割と朝鮮半島の分断は、もちろん性格は大きく異なるものです。一方は入植者・移民がパレスチナの大半を乗っ取ったことで分割されたのに対し、他方は、一つの民族が分断されたのですから。
 しかし、こうした分断がいずれも、第二次大戦直後の再編期に起きたこと、大国の利害関係・介入によって引き起こされたこと、こういった点ででは共通していると言えます。とりわけ、パレスチナがイギリスによる委任統治という名の植民地にあり、そこからイギリスが無責任に撤退したことにともなって分割がもたらされたのに対し、朝鮮半島が日本による植民地支配のために分断がもたらされたのであり、両方ともに植民地支配の結果であり、第二次大戦の「清算」ならざる植民地主義的「再編」の帰結であるということについては、私たちは戦争責任・戦後責任のことを強く感じないわけにはいきません。

 ところで、同じ時期、パレスチナ難民が大量に生み出されたのと同様に、朝鮮半島においても大量の「難民」が発生していることを、どれぐらいの日本人が意識しているでしょうか。韓国語では「失郷民(シリャンミン)」と言います。文字どおりに、「故郷を失った民」です。
 強制的に、あるいはやむをえざる(強いられた)選択として、あるいは特定の政治情勢のなかでの判断として、故郷の村を一時的にでも離れ移住した人びとが、38度線を(北から南へであれ、南から北へであれ)越えたところで、境界線(「国境」というよりは「停戦ライン」)が閉ざされ、故郷に戻ることができなくなりました。そういう人びとが、朝鮮半島の38度線の両側に何百万人といるのです。
 この研究をされているのは、李英美さんという方です。李さんの末尾に関連論考の一覧を挙げておきます(いつか一冊の書物としてまとめて読めるようになりますように!)。

 李英美さんによると、シリャンミン(失郷民)の発生はさまざまな事情によるものであり、一概にこの人びとを「難民」とか「移住民」というふうに括ることはできません。時期的な区分を大雑把に言っても、1945年の終戦から48年の分断国家建国まで、48年から50年の朝鮮戦争まで、50年から53年の戦争の期間、53年以降の停戦期間、とあります。
 その間、分断線そのものの様態も場所も変わりつづけました。容赦ない政治と戦争が、人びとを故郷から切り離し、暴力的に設置された境界線は、人びとが帰郷することを阻止しました。家族もばらばらにされました。北朝鮮と韓国とで分断され、あるいは同じ側にいたとしてもお互いに連絡が取れずに消息が不明となっていたりして、「離散家族」となっていたわけです。

 たしかに「難民」とか「移民」というふうなカテゴリーでは認識できない難しい問題です。
 しかしこれは、パレスチナにも共通する問題でもあると思います。パレスチナの難民発生についても、強制性と自発性についての議論があります。イスラエル側は、「戦時下で勝手に避難したのであって、追放はしていない」と言います。しかし、「避難」と「追放」は峻別できるでしょうか? 政策的「民族浄化」であったとするイラン・パペは、「脅迫であれ説得であれ、どんな手段によろうとも、住民を集団的に土地から移動させる行為は、すべからく『民族浄化』と定義される」と言っています。
 また、避難した/追放された先による分断もあります。西岸地区とガザ地区も分断されています。国外ではヨルダンとシリアとレバノンとエジプト。さらに移住先がイスラエル国内の範囲であったため、難民とは認識されない「域内難民」もいます。
 そして各地に散った難民たちは、分断線によって、家族も散り散りになっています。安否も確認できないケースがあるのはもちろん、親族が国境線や停戦ラインの向こう側にいて、会うことができないケースもあります。

 また、李さんの紹介する朝鮮半島のシリャンミン(失郷民)の事例から、共通するものを感じるのは、たとえば、難民/失郷民たちが、戻れない故郷の家の権利書やカギを大切に保管していることや、あるいは、望郷の詩や歌です。おそらく、故郷を失った民に普遍的に見られることでしょう。

 イスラエル建国/パレスチナの破壊から60年、そして朝鮮半島の分断から60年。植民地支配・植民地主義とは何なのか、そして清算されざる分断とは何なのかを改めて考える機会にしたいと思います。

【文献紹介】
李英美「シリャンミン(失郷民)とタヒャンサリ(他郷暮らし)」(『異文化 5号』法政大学国際文化学部、2004年)
李英美「うちなるコリアン・ディアスポラーーシリャンミン(失郷民)とイサンカゾク(離散家族)にとっての越南・越北・拉北・脱北」(『現代思想』2007年2月号)
李英美『シリャンミン、その望郷と帰郷ーー難民でない難民、移住民でない移住民として』(『現代思想』2007年6月号)