パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2008.08.30

イスラエルとファタハとの「友好関係」──政治犯釈放のパフォーマンス

Posted by :早尾貴紀

 8月25日、イスラエルに捕われていた囚人198人が釈放され、アッバース大統領が歓迎・祝福した。もちろん、政治的な理由でまともな手続きもなく拘束・拘留されているパレスチナ人らが解放されることは、重要なことだろう。
 しかし、これがイスラエルによる、ファタハ、アッバース側への「友好の証しgoodwill」という政治的パフォーマンスとして行なわれていることを考えると、素直に「いいことだ」とはとても言えない。
 この一年間に釈放されたパレスチナ人囚人はおよそ1000人にも達するとされる。もちろんこれは、党派としてのファタハをてこ入れし、パレスチナの人びとを分断し、ファタハをもってハマス政権を追い落とすことを目的とした周到な政策だ。

 8月上旬にはこんな露骨なことが行なわれていた。
 ガザ地区におけるファタハとハマスとの衝突によって身の危険に晒されたファタハの戦闘員ら188人が、イスラエル側に保護を求めて、全員がイスラエル入国を認められた。その後、一部死傷したメンバーを除いて(イスラエルで治療)、72人がガザに送還されたが、85人は西岸地区(ジェリコなど)へ移動することが認められた。
 実のところ、188人のイスラエル保護の直後、アッバース大統領は全員のラマッラーへの移送をイスラエル側(バラク国防大臣)に要請していた。ところが、あまりに露骨にそれを実施すると、ファタハがガザから「逃亡」したということできまりが悪いので、このあたりで妥協することにした、という。バラク国防大臣の「配慮」でもって、もしガザに送還された場合に身の危険が及びそうな85人を西岸に移送し、残りをガザに戻すことになった。

 さらには、こういう批評記事も出された。8月9日付けハアレツ週末付録に掲載されたアルーフ・ベンの記事によると、アメリカ合衆国軍将校ケイス・デイトンが、パレスチナの治安部隊再編のための仕事を終えて帰国したというのだ。記者は、「将来パレスチナ国家が建国されたときには、この将校はその基礎をなした人物として記憶されるだろう」としている。
 具体的な仕事内容はこういったことらしい。

  • 500人のファタハ兵士を西岸地区からヨルダンに連れ出して、部隊編成をして軍事訓練を施した。
  • ジェリコ郊外において、大統領警護隊の訓練を施した。
  • ラマッラーのパレスチナ内務省内に、戦略計画の構築部門を発足させた。

 そして一連の訓練を終えて、この将校がアメリカに帰国するに際して、イスラエル軍はパレスチナ側(新たに編制されたパレスチナのファタハの治安部隊に!)に防弾チョッキや軍用ジープを供与した。
 そう、もちろんこのような軍事訓練は、イスラエル軍の要請によって、その枠のなかで行なわれた。

 デイトンがイスラエルに派遣されたのは2005年。もちろんそれ以前からアメリカ軍将校はイスラエルに常駐してきた。前任者の交代でデイトンが着任したのが05年末のこと。05年というのは、イスラエルのガザ「撤退」、そして「一方的撤退」政策以降のことになるが、イスラエル軍との協力のもと、デイトンらはパレスチナ治安部隊の再編強化を支援してきたわけだ。
 そして06年にハマス政権が誕生して以降は、もっぱら西岸地区のファタハ/アッバース側のみの治安力強化に尽力してきた。
 デイトンの前でファタハの内務大臣は、これから軍事訓練を受けるファタハ兵士らの前でこう言ったという。「お前たちは、イスラエル人と闘うために訓練を受けるのではない。パレスチナ内部の不穏分子、無法者、つまりテロリストどもと闘うために訓練を受けるのだ」、と。
 そして、こういった形で、一方の勢力だけに肩入れした支援をすることで、間接的に介入・内政干渉をすること、回廊構想も間違いなくその一部であるが、そうしたことがかえって混乱要因になっていることも確かだ。

 今回の198人のパレスチナ人囚人の解放も、こういった傀儡化の一手段であることを考えると、無条件に歓迎できることとは言えないだろう。