パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2008.12.14

シオニズムの100年前と今を対比する――京都・さぼてん企画学習会にて

Posted by :早尾貴紀

 以下は、 12月3日に京都のさぼてん企画の学習会 で話した内容を要約したものです。

「継続されるパレスチナのユダヤ化――シオニズムによる「民族」純化を考える」

(学習会冒頭)
 ドキュメンタリー映画『シックス・フロア・トゥー・ヘル』から3場面、計15分ほどの映像を見る。
映像の一部は Youtube でも見ることができる。
 また作品については、 「『シックス・フロア・トゥー・ヘル』、征服されざる人々:イスラエルのパレスチナ不法労働者たち」 を参照。

(レクチャー)

 1900年前後の初期シオニストの試みと2000年前後の現在のイスラエルの政策とを比較することで、シオニズムのユダヤ化、民族純化という問題の本質を考えたいと思います。
 1900年前後というのは、最初のユダヤ人移民(第一陣が1882年で、ロシアやヨーロッパからの金持ちやインテリが多かった)が、先住アラブ人を低賃金労働に組み込んで、ある種の「相互依存構造」ができていたのに対して、次の世代のユダヤ人移民らが危機感を抱き、「純粋なユダヤ人社会」をつくるためのさまざまな試みをしていた時期です。
 一つには、どんどん入ってくるユダヤ人移民が自ら低賃金労働者となって、アラブ人を労働市場から排除すること。もう一つには、イエメンからのユダヤ教徒を、アラブ圏出身だけれども「ユダヤ人」とみなして、やはり低賃金労働者として政策的に移民させることで、パレスチナのアラブ人を排除することでした。
 結局それらははかばかしい成果を上げることはできなかったのですが、しかし、その後ユダヤ人の労働組合(今のヒスタドルートにつながる)、ユダヤ人労働者の政党(今の労働党につながる)、ユダヤ人の自警団(今の国防軍につながる)、純粋にユダヤ人だけの入植地(その後の「キブツ」につながる)をつくる、などの試みの積み重ねが、「ユダヤ人国家」への道のりを作っていきます。

 これがGershon Shafirという人の有名な議論です(日本でも臼杵陽さんや田浪亜央江さんらがこの本に言及してこられましたがまだ翻訳はありません。Gershon Shafir, Land Labor and the Origins of the Israel-Palestinian Conflict, 1882-1914, Cambridge University Press, 1989 / 2nd ed. University of California Press, 1996)。シャフィールは、この時代の初期シオニストの試みを、明確に「植民地主義」だと分析しました。
 シャフィールは、イラン・パペやベニー・モリスといった「新しい歴史家(ニュー・ヒストリアン)」とは異なった立場・手法をとる歴史家です。パペやモリスは新しく開示された機密文書を分析して1948年の建国神話を批判するという仕事をしましたが、それに対してシャフィールは、とくに新しい資料を使うのではなく、すでに知られている歴史資料からシオニズム運動の初期、つまり1900年前後の歴史像の再構築をしたわけです。

 ところでシャフィールはこの本の執筆を1980年代にしています。第一次インティファーダのときにはすでにおよその部分を書き終えています。すなわち、1967年〜87年(第三次中東戦争〜第一次インティファーダ)にかけて、西岸・ガザ地区がほとんどイスラエルの市場(労働市場と製品市場)に取り込まれて、経済的な従属構造になっていた時期です。別の言い方をすると、イスラエル経済が、安価な労働力の供給源として西岸・ガザに依存しており、どんどん無制限にパレスチナ人が占領地からイスラエル中心部に入ってきていた。そういう期間のことです。
 シャフィールは、この「占領」と「依存構造」ことを念頭に置きながら、1900年前後のことを「植民地主義」として分析し執筆した、と1989年の初版まえがきで書いています。

 さらに注目すべきことに、これとは表裏にシャフィールは、1996年に刊行した第二版のまえがきでは、93年の「オスロ和平合意」以降の和平プロセスを、イスラエルの「脱植民地化」であると肯定的に高く評価しました。イスラエルが占領地から手を引いて、パレスチナに「自治」を与えるのは、植民地主義を放棄することだ、というわけです。

 以上が紹介で、ここからが私の問題提起です。
 この本は、初期シオニストの企てを「植民地主義」として分析した点で重要だと思いますが、しかし、1990年代のオスロ合意以降の動きを「脱植民地化」であるとするのは、重大な間違いだと思います。
 90年代の特徴として確認しておくべきは、むしろ以下のことです。

・パレスチナ「自治」という名目によって、イスラエルは占領地への責任を放棄し切り捨てて、西岸・ガザからの労働者を徐々に制限する。
・旧ソ連やエチオピアなどからの「ユダヤ人」(ラビが認めなくとも、どうもゆかりがあるらしいという程度で「(準)ユダヤ人」として)の移民を促進する。
・西岸占領地へのユダヤ人入植地建設を強化する(上記の新移民の居住地として)。 ・中国や東南アジアなどからの外国人労働者を、短期滞在の出稼ぎ労働者として受け入れる。(パレスチナ人を排除した代替労働者として/パレスチナ人よりも外国人のほうがマシという考えから。)

この4点です。
 これは「脱植民地化」どころか、「新植民地主義」であると言うべき事態です。そしてすぐに気がつくことだと思いますが、これは100年前に、ユダヤ人を低賃金化させてでも、あるいはイエメンからユダヤ教徒を移住させてでも、パレスチナのアラブ人労働者を排除しようとしていたことと重なります。むしろ、このことこそ、類比として強調されるべきなのではないでしょうか。
 シャフィールほどの卓越した研究をした人間が、どうして1990年代を見誤るのか、残念ですが、このあたりがシオニスト左派の限界なのだと思います。

 補足すれば、2000年の第二次インティファーダ以降は、こうした1990年代の動きの、矛盾をはらんだいっそうの強化ということになります。

・西岸とガザからの労働者は徹底的に排除(それが映像で見た不法潜入の労働者になっていく)。
・入植地建設は止まることなく継続。(労働党首!兼国防大臣のバラクが、 最近もまたバンバン建設許可を出しています 。)
・外国人労働者は、予想に反して長期滞在化していき子どもも産み育て、定住化が進んでいる(これも映像で見た通り)。そのことから、政府が派遣労働者的な一括登録管理を導入し、国外退去をさせやすくした。

 なおこの動きは、日本も含めて世界規模で1990年代から、「雇用の自由化」という名目の新自由主義下で、労働者のボーダレスな移動が促進されたことと重なるものです。
 日本の場合には、主として日系人に絞った外国人労働力の導入へと転換しました(1990年の改訂入管法によって)。日本人至上主義の維持のための苦肉の策でした。
 これとイスラエルにおける外国人労働者の導入は、パレスチナ人排除によってユダヤ性を保持するという点で、実は同じ排他的国民主義である、ということも大事な視点です。

 ということで、1900年前後と2000年前後の対比を通して明らかにしたかったのは、シオニズム百年の歴史は、終わることなき「ユダヤ化」、「民族純化」の継続である、ということでした。

(以上、報告要旨)