パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2009.01.21

イスラエルの「一方的」政策の起源と意図――西岸地区の併合的収奪を強化する

Posted by :早尾 貴紀

 イスラエルが、ガザ地区攻撃について、「一方的停止」を宣言した。
 アメリカ新大統領就任に合わせて侵攻していた軍隊を撤収。これでますます、手前勝手な軍事攻撃(それこそ「報復」でも「自衛」でもなく「一方的攻撃」!)だったことが明らかになったが、そのあからさまさには言葉を失いかける(あからさまなのに止められない国際社会の無力)。

 これでメディアや世論が、停戦だ、和平だ、復興だという方向に流され、そしてこの虐殺が忘却されることがたいへん懸念される。
 これまでも繰り返してきたが、イスラエルのガザ包囲攻撃は、ハマス政権誕生以降、三年間一貫してきたものであり、いまなおギリギリと締め上げているのだ。人と物の出入りは禁止された監獄に、陸海空からつねに砲撃の照準を定められている状態が、今後も続いていく。これは攻撃の継続としか言いようがない。

 それにしても、05年夏にイスラエル軍・ユダヤ人入植地をガザ地区から「一方的」に撤退させてから、「一方的包囲」に「一方的攻撃」、そして今度の「一方的」な武力攻撃の表面的な中断。すべてが「一方的」だ。
 このイスラエルの「一方的(unilateral)」政策の背景と意図について記しておきたい。

 イスラエルの「一方的」政策は、2000年からの第二次インティファーダへの弾圧に始まる。そして第二次インティファーダは、1993年からのオスロ合意以降の和平プロセスへの不満の爆発だ。
 オスロ合意は、今となっては周知のように、イスラエル政府とPLO(パレスチナ解放機構/ファタハ中心)との「相互承認」以上の内容はなく、占領政策全般が「今後の検討」ということで事実上不問とされた。東エルサレム、ユダヤ人入植地、水利権、難民帰還権、など、すべてが棚上げ・先送りで、パレスチナ側が得られた内実はなし。反対にイスラエルは何一つ失うものがないまま、象徴的な「自治政府」の称号をPLOに与えた見返りに、占領政策ごとイスラエル国家を承認してもらった。
 すなわち、占領下の「自治」(それってどういう自治?)の名目を与えることで、PLOを事実上「占領行政の協力者」とすることができたのだ。
 加えて、「自治」の名目は、イスラエルが占領地に対して責任放棄をする口実を与え、西岸・ガザからのイスラエルに入れていたパレスチナ人労働者を排除し、その失われたパレスチナ人の現金収入を国際社会からの援助金に補填させることとなった。結果、PLO自治政府の役割は、「自治」ではなくして、援助金の分配となり、巨大な利権機構ができてしまった。
 「和平プロセス」のもとで、自治政府関係者だけは援助金で潤ったが、ユダヤ人入植地は増えつづけ、東エルサレムはますます西岸地区から切り離され、西岸地区はズタズタに分断され、そして占領下で経済発展は阻害されたままで、貧困化していった。事実、オスロ以前よりもオスロ以降のほうが、入ってくる資金は増えたにもかかわらず、経済は停滞したのだ。
 「平和の配当」にあずかれない人びとのフラストレーションが溜まりつづけた。西岸地区へのユダヤ人入植地はオスロ和平のもとで撤去はおろか凍結さえできず、むしろ飛躍的に増加し、土地は奪われていった。そして、ガザ地区も西岸地区も、「自治」という口実は、自由を与えるのではなく、たんにイスラエルから切り捨てられるということと、しかし国境管理はイスラエルがガッチリ握ったまま囲い込まれるということを意味した。つまり、封鎖され、土地を奪われ、人も物も身動きがとれなくなる。これがオスロ合意の帰結だった。
 しかしイスラエルからすれば、それはPLOとの「合意」であり、国際社会の「承認」を得たものであった。

 2000年の第二次インティファーダは、そのフラストレーションの爆発だったが、それが東エルサレムからパレスチナ占領地の全土に広がった。しかもそれにアラファト・ファタハ・PLOが乗ったことから、イスラエルが徹底弾圧。とりわけ、自治政府関係の建物、大統領府や自治警察の建物は徹底的に空爆によって破壊された。04年ぐらいまで激しい破壊活動が続いた。
 これは、オスロ和平合意を結んだ相手であるPLOに対する、「合意違反」としての「懲罰」に他ならない。そしてこれが、占領政策の協力者としてのPLOに見切りをつけたイスラエルによる、「一方的」政策の始まりだ。

 「There is no partner」政策とも揶揄されるこの方針は、占領政策を継続するための手段であった。つまり、とくに東エルサレムを含む西岸のユダヤ人入植地問題を、パレスチナ側と交渉しないためのものだ。
 イスラエルは、ガザ地区を接収したいわけではない。もしパレスチナ人がその地に存在しないのであれば併合したいという気持ちはあるだろうし、歴代の首相がそういうことを口にしている。
 だが、ガザ地区は狭く、パレスチナ人の人口密集地であり、水資源も乏しい。イスラエルにとっては魅力のある土地ではない。しかし、西岸とガザとを合わせてパレスチナは「一つ」だ。西岸地区の占領を続けるためには、ガザ地区にも干渉しつづけるしかない。
 そこでイスラエルは、次の「一方的政策」をガザ地区に対して実行した。それがシャロンが04年に提案し、05年に実行した、ガザ地区からの「一方的撤退」だ。これによってイスラエルは、和平プロセス崩壊で抵抗運動の高まったガザ地区の利用方針を変更した。つまり、ガザ地区での「占領終結」を演出することで、一方ではガザ地区でいかなる問題が起きてもそれは「イスラエルの責任ではない」という口実を用意し、しかし実際には他方で、93年からのガザ包囲をいっそう強化し、ユダヤ人入植者のいなくなったガザ地区を大規模に空爆できる準備をした。
 これがガザ地区からの「一方的撤退」の意図だ。

 イスラエルからパートナーと認められ、国際社会の支援を受けることでのみ、その政治的存在を保ちえたファタハ・PLOは、イスラエルから「一方的」政策によって見切りをつけられ、かつ、カリスマのアラファト大統領を失い、失墜。
 そこにハマスが総選挙に参加すれば、勝利するのは必然だった。これが06年1月の選挙のこと。
 誕生したハマス政権が、明確に、「オスロ合意の破棄、占領の終結、これを前提としたイスラエル承認」を政策として打ち出したため、イスラエルは即座にハマス政権の追い落としに入った。06年初期からすでにイスラエルは、ガザ地区に対して、封鎖による兵糧攻めと空爆・侵攻によって、ガザ住民とハマスを追い詰め、ロケット弾を誘発しては、それへの「報復」という名目で、さらに大規模な空爆や侵攻を正当化するということを繰り返してきた。

 なおここで注意すべきこととして、イスラエルが「報復攻撃」の口実を手に入れるためには、どんなかたちであれ、ロケット弾一発あればそれでいい、という点だ。
 すなわち、ハマスが組織としてロケット弾発射の方針をもっていなくとも、フラストレーションの溜まった一メンバーが発射することもあれば、また、ハマス以外の組織が、場合によっては停戦を守るハマスへの対抗として、あるいは撹乱するために撃つこともある。さらにガザ地区だけで何百人といるかわからないイスラエルのコラボレーター(お金や弱みのためにイスラエルに協力させられている密通者や工作員)が、ハマスの「停戦違反」を演出するために撃っていることも否定できない。
 したがって、イスラエルは、攻撃しようとすればいつでもできるというのが実態であり、事実イスラエルは、ハマス政権発足以来3年間、攻撃を続けているのが現実だ。何もこの12月末の停戦切れで、突然に空爆が始まったわけではない。

 これによってイスラエルは、「ハマスは和平合意を尊重せず、イスラエル殲滅のために、ロケット攻撃を飛ばしつづけている。交渉相手にならない」というスタンスを取りつづけることが可能となっている。
 そしてこの三年間、イスラエルは2000年に「一方的」に切り捨てたファタハを再度「協力者」として利用し始め、ハマスを追い落とすために、武器・弾薬・資金を提供し、ファタハ囚人のみを釈放していった。「ハマス対ファタハ」の「内戦」が演出されていった。
 ファタハ・アッバース大統領は、2000年から痛い思いをさせられてきたことを「教訓」に、今度のガザ空爆・侵攻の期間、ハマス批判を展開し続け、事実上イスラエルを「支持」した。西岸地区の人びとが怒りでイスラエルへの抗議行動を起こそうとするのを、大量の自治警察を動員し規制している。いま西岸地区で蜂起が起きれば、第三次インティファーダになる。ファタハ側はそれだけは避けたい。そうなったら、再度イスラエルに切り捨てられ、国際社会からも見放される。
 だから自治政府・ファタハは、徹底的に抗議デモや集会を弾圧した。発砲もされているといわれる。民衆の支持はますますファタハからは離れていく。反比例してファタハ・アッバースは、イスラエルとの協調に依存せざるをえなくなる。

 イスラエルの「一方的」的政策はこういう意図をもっている。
 「交渉のパートナーはいない」として占領を継続させ、東エルサレム・西岸地区の併合を進めるか、「パートナーはいない」という脅しでファタハを手先になるように追い込むか。オスロ合意があるかぎり、ファタハがそれを拒否すれば、「ファタハも信頼できる穏健な交渉相手ではなかった。ハマスのようなテロ集団と同じだ」と言われる。
 国際社会が承認したオスロの罠が、ガザ地区の住民を虐殺した。そして、それをテコにしてイスラエルは東エルサレム・西岸の併合支配を永続化させているのだ。