パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2010.02.15

西岸地区アル・マアサラ村のデモにて

Posted by :早尾貴紀

 毎週金曜日にデモを。そういう場所はパレスチナの何ヶ所かで継続されています。ビルイーン村での分離壁に反対する抗議デモは、最も有名なものです。その創意工夫、継続性、そして被弾圧においてもよく知られています。(ドキュメンタリー映画 「ビリン・闘いの村」 のサイト参照)。またその「成果」なのか、壁のコース変更を軍が受け入れたというニュースも最近伝わってきました( 「弱い文明」 に紹介記事あり)。

 西岸地区南部、ベツレヘムからさらに南に行ったアル・マアサラ村でも、毎週金曜日に住民と活動家らのデモが継続されています。ユダヤ人入植地とイスラエル軍基地が周囲にあるため、ここも壁で隔離されようとしています。
 先日そこに参加する機会がありました。
 ここのデモの特徴は、「完全に非暴力スタイルで、これまでイスラエル軍側とも衝突をしていない。毎度のように催涙ガス弾を投げられたり、逮捕者の出るビルイーン村やニイリーン村とはまったく異なる」という説明を受けました。

 地元の村の人びと、西岸地区各地のパレスチナNGOのメンバー、イスラエルのアナーキスト活動家、そして海外からの参加者など、合計200人ぐらいになったでしょうか。シュプレヒコールをあげながら、イスラエル軍が封鎖しているブロックへと向かいます。
 ジープや装甲車が陣取り、鉄条網を敷いたところまで迫り、そこでさらにアラビア語・ヘブライ語・英語で抗議声明を出し、、、、

 ところが、デモ集団とは別にそのずっと後ろのほうから、少年が二人イスラエル軍に向かって投石。といっても、一人一個投げただけなので、二個の石が飛んだだけなのですが、それをきっかけに軍の弾圧スイッチがカチリ。

 高台から見ていた監視役のイスラエル兵からも、デモ集団とはまったく別なところから、地元の少年二人が投石して走って逃げていったのは見えていたはず。すぐにその方向を指して、何か叫んでいました。
 にもかかわらず、デモに対面していたイスラエル兵は一気に弾圧モードに切り替わり、銃口を突きつけ、どんどんと集団を蹴散らすように押していきます。
 デモでは最前線にいて、押し戻されるときは最後尾になったおばあさんが断固として抵抗するのも取り囲み、、、

 そして挙げ句には、音響爆弾を集団のなかにどんどん投げ込みながら、その爆音がボカン、ボカンと鳴り響き、煙があがるなか、イスラエル兵と軍用ジープが突進。

 結局、村の中心部までデモ集団は押し戻され、またそこまでイスラエル軍が侵入してきたことで、イスラエルのアナーキスト団体メンバーらが猛烈にヘブライ語で抗議。拘束される可能性の高い、地元活動家のリーダーたちは後ろに引いて、イスラエル人が前面に。

 結局デモはそこで解散させられました。
 地元リーダーは解散にあたってこう説明しました。「こんなことはアル・マアサラ村では起きたことはなかった。投石をきっかけにして豹変したのはたまたまで、弾圧をエスカレートさせることは最初からの方針だったのではないか。ここのところ反壁運動のリーダーを立て続けに逮捕しているが、ここもじきにそうなってくるかもしれない。今日は拘束された者が出なかったからまだよかったけれども。それでもわれわれは、非暴力抵抗を継続するしか他に活路はない。地元の悪ガキどもはフラストレーションが溜まっているのだろうが、逸脱するなと強く言ってきかせる。イスラエル軍には一片の正当性などないということを示しつづけることが、われわれの闘いなのだ」、と。