パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2010.03.05

来日予定のメロン・ベンヴェニスティ氏に会う

Posted by :早尾貴紀

 今度のパレスチナ/イスラエル訪問の目的の一つは、今度3月12-16日に東京大学UTCP「共生のための国際哲学教育研究センター」に招聘されて来日する、メロン・ベンヴェニスティ氏(Meron Benvenisti)とミーティングをもつことでした。

 ベンヴェニスティ氏は、アシュケナジーム移民の母と、セファルディーム移民の父をもち、そのシオニズム実践家の家庭で生まれ育ちました。とりわけ父は、地理学者・地図製作者として、アラブ人の地名を抹消しヘブライ語による地名をつけるという作業をした張本人。そしてベンヴェニスティ氏は少年時に、その父についていき、アラブの村の廃墟を歩いていました。
 そうした意味では、ベンヴェニスティ氏は、いわば「シオニズムの申し子」だったわけです。

 その彼が、80年代、ヨルダン川西岸地区の占領・入植政策を総合的に検証する「データベース・プロジェクト」を開始。イスラエルの入植地が、いかに西岸地区を巧妙に分断し囲い込み、パレスチナが独立できる産業や市民社会が不可能になるように配置されていることを暴きました。
 2000年に刊行した、 Sacred Lanscape では、パレスチナの土地の「ユダヤ化」を綿密に検証して告発。
 現在では、「ユダヤ人国家」の理念を放棄し、一国家二民族共存のスタンスをとっています。

   *   *   *

 お昼前に、エルサレム旧市街のそばのカフェで待ち合わせ。
 実はベンヴェニスティ氏はたいへんに気難しいタイプの人だとか耳にしていたので、緊張していたのですが、現れた当人はひじょうに温厚な感じのする人でした。
 一国家/二国家の問題について話をすると、「私はもうシオニストではない」。そうはっきりと言いました。シオニズムの申し子から、反シオニストへ。いや、反シオニストと言えるのかどうか、「非シオニスト」と言うべきか、微妙な問題もあるのですが、ともあれ彼は、父親の「原罪」を背負いながら、イスラエル国家の60数年の歴史に対して、できうるかぎりの誠実な態度で向かい合い、そして政治的な判断をしてきました。

 東大UTCPではアラブ人とユダヤ人の「共生」の可能性と困難について、ミーダーンでは土地の「ユダヤ化」について、明大ではエルサレム問題について、計三つの重要な講演を依頼していたので、そのそれぞれについて講演内容の方向性を相談しました。
(それらの企画については、 UTCPのサイト を参照ください。)

 だいたいそれらが一段落すると、今度はベンヴェニスティ氏の方から、こう言われました。
 「ところで、日本に行くなら、アイヌ研究者と対談をすることは可能だろうか。私は、世界中の占領・入植問題に関心をもっている。イスラエルの歴史は、あえて言えば、それだけが特別なことではない。占領し、併合すること、土地の名前をつけかえたり、先住民を追放したり同化したりといったことは、近代史のいたるところに見いだせる。日本ならアイヌの土地の併合は、この地の〈ユダヤ化〉と似ているのではないか? 最近、テッサ・モーリス=スズキという人のアイヌ論を英語で読んだ。とても興味深いものだった。  私は比較入植社会研究と呼んでいるが、異なる文脈の類似した歴史体験から学べる教訓を導きだし、それを共有することが必要だ。」

 たしかに、板垣雄三氏なども前々から強調しているように、パレスチナでのユダヤ人国家建国問題、そして占領・入植問題は、この日本が近現代史において実践してきた植民地主義と無関係でないどころか、同時代的・同質的なイデオロギーを共有している出来事なのです。
 私たちが建国・占領・入植の話を聞くときに、イスラエルはひどいと言って済ませることはできません。自分もそこに含まれる真に世界史的な問題として捉えるには、日本の現代史を反省的に見る視点をそこに重ねあわせなければならないと思います。

 そこで今回は一連の企画の最後に、アイヌ・先住民問題の研究者である、 上村英明氏(市民外交センター/恵泉女学院) に対談相手をお願いしました。ベンヴェニスティ氏の講演がさらにここで深められることを期待しています。( 対談は東大駒場にて3月16日