パレスチナ情報センター

スタッフ・ノート

2011.05.15

パレスチナでの気になる動き(その3):ガザ発電所副所長の誘拐と逮捕

Posted by :蝦沢 薫

2月18日、ガザ発電所の副所長であるディラール・アブ・シシ技師(*1)が、訪問中のウクライナにて突然失踪しました。

彼は、妻の祖国であるウクライナに6人の子どもと共に移住する準備のため、ウクライナに滞在していましたが、18日は、オランダ在住の兄弟と15年ぶりの再会を果たすため、夜行列車にてキエフ空港に向かっていました。

その後27日まで、彼の安否は不明でした。彼の妻ヴェロニカは、イスラエルによる暗殺や誘拐の可能性を案じ、国連やイスラエルの人権団体などに真相の究明を求めました。27日になって、ようやくディラール技師から電話を受けた彼女は、夫がイスラエルの刑務所にいることを知らされました。 

本件については、イスラエルにて発言(報道)禁止令が敷かれ、しばらくイスラエルでは何も報道されませんでした。イスラエルの人権団体であるACRIが発言禁止令の解除を求めて訴えたところ、ようやく3月10日になって、既に海外メディアが報道済みの内容について、国内での報道が許可されました。その後、発言禁止令の一部解除により、3月20日にイスラエル政府はディラール技師を拘束していることを認めました。しかし、拘束にかかる経緯や容疑などの詳細については依然として発言規制対象であるため、実情は不明のままです。(*2)

4月4日の起訴直前には、ディラール技師はシャリート兵士の誘拐について重要な情報を持っていると公表されました( 参照参照 )。(*3) シャリートの父親がヴェロニカに電話をして、息子の釈放のためにハマスに圧力をかけるよう話したとも伝えられました( 参照 )。しかし、起訴状はその件には触れていません。彼の主な容疑は、ハマスのメンバーであること、ハマスの武器製造に加担したことでした。イスラエル総合保安庁(シン・ベト)はディラール技師を「ロケットの父」と呼び、彼はハマスの武器の性能を4倍に向上することに貢献し、ハマスの軍事学校(*4)の設立と運営の責任者であると訴えています( 参照 )。

これに対してディラール技師は、シン・ベトは彼からシャリート兵士の情報を得られなかったため、容疑を変えたのだと話しています( 参照 )。彼の弁護を担当するスマダル・ベン・ナタン弁護士も、彼の逮捕は間違った情報に基づいていると述べています。(*5) また、モサドによる外国での暗殺は多いものの、外国での誘拐はあまり例がないとも言い、彼女が思いつくのは、1960年のアドルフ・アイヒマンのアルゼンチンでの誘拐と1986年イタリアでのモルデハイ・バヌヌの誘拐だけとのことです( 参照1参照2 )。

ディラール技師の家族は、彼は政治とは無関係の技師にすぎず、ハマス支持者であることも否定しています。ヴェロニカは、彼の拘束は、ガザ唯一の発電所の操業を妨げることを狙ったものだと確信しています。また、2009年のイスラエルのガザ攻撃で損壊した発電所を修理し、これまでイスラエルからの供給に頼っていた高品質ディーゼルではなく、より安価でエジプトから仕入れることができる通常のディーゼルでの運行を可能にしたことも、イスラエル政府の関心を引いたと指摘しています( 参照1参照2参照3 )。

一方で、ハアレツ紙の記事では、ディラール技師のガザでの同僚の話として、彼がハマス支持者でなければガザ発電所の副所長という高い地位は得られないこと、この地位は伝統的にハマス支持者で占められていることを伝えています( 参照 )。しかし、「伝統」とはいつからのものか疑問が湧きます。2006年にハマスが選挙で勝利してからだとすれば、それ以降、一体何人のハマス支持者がこの地位に就任したのでしょうか。

外国での誘拐、それに続くイスラエルへの強制連行と逮捕という超法規的措置は、国際法違反であり、ウクライナの主権侵害行為であるにも関わらず、国際社会は何の関心も示していません。さらに、自国民でもないガザ市民をイスラエルが拘束することは、既に問題ともみなされないようです。イスラエルの発言(報道)禁止令が功を奏してか、本件への関心も薄れ、4月4日の起訴以降目立った報道もありません。パレスチナにおいてすら、実質的には何の抗議も措置も取られていないようです。

ディラール技師への容疑が真実であったならば、イスラエルはハマスの戦闘能力にかかる重要な情報を彼から得ることができるでしょう。また、容疑が偽りであったとしても、ハマスの戦闘能力の向上と脅威をイスラエル国民及び国際社会に強調する機会となりました。こうしたことは、次のガザ攻撃への準備と考えることもできます。

次なるガザ攻撃の脅威が見え隠れするなか、ガザの家族がまたひとつ大きな不幸に見舞われ、苦しんでいます。

*1 彼についてのウィキペディアでも、拘束と逮捕について説明があります( 参照 )。

*2 発言規制は4月17日まで延長されましたが、それ以降本件に関してイスラエル国内での報道はなく、発言規制が解除されたか確認できていません。

*3 ディラール技師の拘束とシャリート兵士との関連を憶測するドイツ紙の記事( 参照 )。

*4 2009年のイスラエルによるガザ攻撃終了後に設立されました。

*5 起訴容疑の信憑性の欠如については、次の記事でも詳しく触れています( 参照 )。