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シヴァンはなぜ「悪の陳腐さ」について質問したのか / 黒瀬勉

「ルート181」コラム
シヴァンはなぜ「悪の陳腐さ」について質問したのか

イスラエル軍兵士の写真

「ルート181」第2部(中部)で、検問所で武装して警護している若い兵士に質問するシーンがある。そこで、ハンナ・アーレントの名前と「悪の陳腐さ」という言葉が出てくる。内容から考えて、質問しているのはイスラエル人監督のエイアル・シヴァンだろう。

──「悪の陳腐さについて」は?

兵「書名? それともテーマ? 悪の陳腐さがテーマ?誰の言葉? どんな文脈で?」

──ハンナ・アーレント

兵「知らないな」

──それは ごく普通の人々 例えば、哲学書を読むような人々が行為に荷担し…

兵「極論か」

──違う ささいな行為の積み重ねが巨悪を生む

兵「ささいな行為って? どんな行為だ?」

ハンナ・アーレントは1906年にドイツで生まれ、ナチスを逃れて、アメリカに亡命したユダヤ人哲学者。「悪の陳腐さ」は、アーレントの1963年の著作『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』(みすず書房)からきている。アドルフ・アイヒマンは、ヨーロッパ各地からユダヤ人を収容所へ強制輸送した責任者で、戦後、ドイツから国外へ逃亡したが、アルゼンチンでモサド(イスラエルの国外諜報機関)によって捕まえられ、イスラエルへ移送されて、エルサレムで裁判を受けて死刑となった。アーレントはアメリカからエルサレムまで行き、裁判を傍聴して、『イェルサレムのアイヒマン』を書いた。

アーレントによると、アイヒマンはユダヤ人の強制輸送に関して、当初は良心の呵責を感じていた。彼は暴力による<血なまぐさいユダヤ人問題の解決>に疑念を持っていて、最初のユダヤ人の大量輸送では、ユダヤ人の命を救おうとすらした。そんなアイヒマンが良心の呵責を鎮めていく転機になったのが、1942年1月のヴァンゼー会議に出席したことであった(ヴァンゼー会議とは、ユダヤ人の絶滅をドイツの国家政策とするのが決定された会議)。出席者全員がアイヒマンより地位が上の人で、彼は書記として参加した。会議の席で、アイヒマンは高級官僚が絶滅作戦に反対せずに、それどころか、競って作戦に参加しようとするのを目の当たりにして、ことの善し悪しを自分で判断するのをやめてしまう。地位が上の人の言動に影響を受けて、自分の行為の善悪を判断するのをやめ、それまでの疑念を払拭したという点に、アイヒマンの人格がよく現れている。

良心の呵責を鎮めたアイヒマンは、それ以後、与えられた任務を忠実に実行していく。強制輸送は順調に進み、ルーティーンの仕事になっていった。エルサレムで取調べを受けたときの発言から、彼が自分の仕事をどのように考えていたかがよくわかる。

(ユダヤ人の移転先を確保し、汽車を調達し、駅の選択など、自分の部署の仕事は)純粋に技術的な問題しかなかった。
だれがガス室行きになるか、この動きを始めるべきか否か、止めるべきか、速めるべきかどうかなど、…私には無関係だった。

(エイヴナー・レス大尉によるアイヒマンの調書、ツヴェタン・トドロフ『極限に面して』法政大学出版局)

もはや、アイヒマンはユダヤ人の強制輸送と殺害に対して疑念を持たない。彼は与えられた任務を、その善悪を判断することなく、着実に実行するだけである。ユダヤ人をどの絶滅収容所へ、どの線路を通って、何回に分けて輸送するかといった「純粋に技術的な問題」しか考えない。

こうしたことは、アイヒマンに限らず、ユダヤ人虐殺に関与した他のドイツ人にも言えることであろう。ヴァンゼー会議以後、ドイツでは、政府や官庁のたくさんの部署で、社会のいたるところで、多くの人たちが絶滅作戦に協力していった。ドイツ人の多くが、ユダヤ人の虐殺に反対もせずに、大量殺人をめざす機構に仕え、与えられた自分の任務を実行していった。一人ひとりの役割はそれほど残酷でも犯罪的でもなかっただろう。また、彼らのほとんどが、自分の手では一人のユダヤ人も殺さなかったし、殺せなかっただろう。しかし、こうした普通の人たちの些細な行為の積み重ねが、おびただしい数のユダヤ人の殺害という結果をもたらしたのである。

アーレントが「悪の陳腐さ」について言うとき、ナチスの犯罪が「悪魔的」と形容されることを念頭においている。ナチスによるユダヤ人虐殺について、その犠牲者の多さ、残酷さ、実行の徹底性ゆえに、よく比喩的に「悪魔的な犯罪」と表現されるが、アーレントはナチスの犯罪を「悪魔的」と形容したら、その犯罪に加担した人間の実態を見誤ることになると考えている。アーレントによると、アイヒマンは凡庸な人物で、彼から「悪魔的な深遠さを引き出す」のは不可能であり、彼の陳腐な悪には、「深遠さも悪魔的な次元」もない。しかし、アイヒマンのような凡庸な悪人こそが、ユダヤ人大量殺害の推進力だったのである。

アイヒマンを陳腐な人間として描いたことで、アーレントは激しく批判されたが、シヴァンはアーレントのアイヒマン論の影響を受けて、映画「スペシャリスト」(1999)をつくった。ロニー・ブローマンとの共著で、シヴァンは「数百時間にわたる裁判のフィルム・アーカイヴから私たちのもとに現れてきた人物は、まさにアーレントが『イェルサレムのアイヒマン』で描いたような、忌まわしい考えを持つというよりは、単に何も考えていない人物だった」と言っている(『不服従を讃えて』産業図書)。

「ルート181」で、シヴァンがイスラエルの若い兵士に「悪の陳腐さ」について質問したのは、その兵士に、アイヒマンと共通するもの、つまり、上からの命令に対する無批判的な服従を見て取ったからである。さらに、若者に絶対的な服従と忠誠を強いるイスラエル国家に、アイヒマンが服従したナチス国家と共通するものを見ているからである。イスラエルの兵士に「悪の陳腐さ」について問うことで、シヴァンは強権的なイスラエル国家を批判している。「スペシャリスト」について、シヴァンは「私はアイヒマン裁判というイスラエルの記憶の基礎となる出来事を取りあげて、それをイスラエル当局が望んだようにではなく、まさに服従の言説を告発するために用いた」と言っている。イスラエル当局とは違う仕方で、シヴァンはアイヒマン裁判の記憶をイスラエル社会の「教訓」とするのである(「イスラエルにおける市民的不服従」、『前夜別冊 ルート181』)。

(くろせつとむ 哲学/ルート181関西上映実行委員)

参考となる書籍・映像:

  • 『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』ハンナ・アーレント(みすず書房)
  • 『極限に面して』ツヴェタン・トドロフ(法政大学出版局)
  • 『不服従を讃えて ─「スペシャリスト」アイヒマンと現代』エイアル・シヴァン、ロニー・ブローマン(産業図書)
  • DVD「スペシャリスト」エイアル・シヴァン、ロニー・ブローマン( IVC

*この同じシーンに関するコラム: 「窓から覗く顔」


『ルート181』から読み解くパレスチナとイスラエル

パレスチナ情報センター